本年度も引き続き新型コロナウィルス感染症の感染状況が収束しなかったため、研究活動に支障があった。特に当初の予定にあったニューヨーク近代美術館(MoMA)での調査が実施できなかったため、文献資料の収集と分析に基づく研究ならびに研究者間での議論にとどまらざるを得なかった。 その中で1950年代の日本・アメリカ間の文化交流を目的とする国際文化会館の活動に立ち戻り、展覧会を軸にした日米の文化外交のありようを検討するに至った。特に文化人交流の筆頭に挙げられる建築家ワルター・グロピウスと妻イセの1954年夏の滞日に注目し、国内の旅程を洗い直した。当時の言説空間を再構築するため雑誌等の資料をあたったところ、日本国内での建築家やデザイナーがグロピウス夫妻に同行した詳細な行程が明らかになった。また一方で、ほぼすべての言及がグロピウス本人にとどまっており、妻イセに対する記述が皆無に等しいことも明らかになった。専門的な座談会にも夫妻で参加しているにも関わらず日本人側からのリアクションは薄い。 これらが当時のジェンダー観を表すものなのかどうか即断できないが、今後、妻イセから見た日本文化のありようや日本人建築家・デザイナーの姿を検討する必要があることは明白である。来日を経て、夫ワルター・グロピウスは丹下健三・石元泰博との共著『桂』を残したが、妻イセの視点は欠落したままである。本研究が主眼とする多国間の文化外交に際して建築家、デザイナーが果たす役割とその影響を鑑みる上でも、日米双方の立場から、当時の言説空間を今一度見直さなければならない。
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