研究課題/領域番号 |
17K06753
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研究機関 | 岡山県立大学 |
研究代表者 |
西川 博美 岡山県立大学, デザイン学部, 准教授 (00749351)
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研究分担者 |
中川 理 京都工芸繊維大学, デザイン・建築学系, 教授 (60212081)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 台湾 / 植民地 / 武徳殿 / 地方行政 |
研究実績の概要 |
今年度は、以下のことを明らかにした。昨年度に引き続き、1930年代において大日本武徳会が建設した武徳殿の建設経緯と建築的特徴について明らかにした。1930年代になり、武徳殿の建設は台湾全島で広がり、その規模も大きくなった。その中でも、台中州支部や、台南州支部、花蓮港庁支部に建設された武徳殿は、とりわけ大規模な武徳殿が建設された。そして、その建設費は高騰したが、それはほとんど寄付金に依っていた。しかもそれは一般の住民からも募り、ほとんど税金のようにして徴収するケースもあった。そのことは、武徳殿が住民に広く共有される施設として認識され、その建設が地方行政がリードするものとなっていたことを示していた。そして、建設が次々と進んだ背景には、台湾における地方制度の改変により、州や郡が自治体として公共事業を進める権能を得られたことがあったと判断できた。 そして、武徳殿の設計も、地方行政の技師が担っていた。具体的には、台中州や台南州の州の土木課の技師が中心となり、州だけでなく州下の郡の武徳殿の設計も彼らが手がけた。そこにおいて、武徳殿の意匠に台中州の武徳殿をモデルとする一つのスタイルが生み出されていたこともわかった。もともと、台湾で建設された武徳殿は、入母屋の屋根に、入母屋の車寄せを付加するという形式が作られてきたが、それに加えて、外壁を柱・梁を露出させ真壁として、縦長の窓を配置し、車寄せのコーナー柱を控柱とともに3本の構成にするなどの意匠的特徴を持たせた。この形式と意匠が、その後の郡における武徳殿の多くに踏襲されていった。 大日本武徳殿が台湾で建設した武徳殿は、州や郡の住民にとって必要となる共有施設としての意味をも持つ存在となっていた。したがって意匠は、神社などに見られる象徴的・精神的なシンボルとしての意味はそれほど大きなものにはならなかったと判断できるものであった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究成果は、武徳殿建設経緯にかかる歴史区分により、二つに分けてまとめることになり、一つは既に査読論文として学会誌に掲載された。2019年度後半には、もう一つの論文、すなわち1930年代の武徳殿建設についての論文作成に取り掛かったが、そこでの実証作業に新たな史料の閲覧が必要になった。しかし、2020年2月以降、コロナ禍もあり台湾の所蔵先の都合により、その史料の閲覧ができない状況になり、史実の確認に時間がかかった。そのため、研究期間を延長し、2020年5月にようやく論文を投稿することができた(現在査読審査中)。
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今後の研究の推進方策 |
本来2020年3月までに終了するはずの研究であったが、期間を延長し2020年5月に最終の論文を投稿し、研究を終了することができた。この研究の中で、日本統治期の台湾においての公共施設建築の建設は、複数の建設主体が関わっていることが明らかになった。そこには、地方制度において、地方行政の自治権が弱いものでしかなかったことと、保甲制度のような、独特の自治制度が存在したことなどが背景として考えられた。そこで、日本植民地における建築活動の特徴を明らかにするために、「植民地統治下台湾において多様な建設主体が介在した地方行政区の公共建築の研究」として、改めて科研に応募し採択(基盤研究C)を受けて、2020年度より、すでに研究を開始している。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究課題のまとめともなる研究論文を年度内に投稿する予定で、資料収集、投稿、および学術誌掲載にかかる費用を確保するため、予算を確保していたが、資料収集に想定以上に時間を要したために、年度内に論文を投稿することができなかった。よって、論文投稿のために確保した予算を次年度に使用することとなった。 尚、その研究論文は、その後に必要な資料を収集することができ、2020年5月に投稿し、現在は査読中である。
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