研究課題/領域番号 |
17K06758
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研究機関 | 金沢工業大学 |
研究代表者 |
戸田 穣 金沢工業大学, 建築学部, 准教授 (00588345)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 戦後建築 / 慰霊 / 記念 / ポストモダン |
研究実績の概要 |
当該年度の研究成果の具体的な内容:主として東京都の戦没者追悼施設にかかわる建築図面の資料整理・調査を行った。東京都の戦没者追悼施設としては相田武文氏設計の東京都戦没者霊苑(東京都文京区、1988年)および硫黄島の鎮魂の丘(東京都小笠原村、1983年)を対象とした。対象資料は相田武文氏所蔵の設計図面等である。とくに東京都戦没者墓苑については、実施案以外にも複数の案が確認された。所蔵資料を元にした相田武文氏への聞き取りとともに、慰霊、追悼、記念のための空間の設計において、どのような空間的な構成がありうるかを調査した。 当該年度の研究成果の意義:東京都戦没者霊苑の事例は20世紀前半まで軍用地として利用されてきた土地が、戦後どのように再利用されたかを示す一例となっている。既存の慰霊碑・造作物の整理と再編のbefore/afterの事例でもある。資料中には実施案の他7案の図面が残されている。1987年に制作されたものだが、これらの計画案の異同から1980年代なかばに建築家が構想し得た、戦後の慰霊空間の再編の事例として歴史的な意義をもつものである。 当該年度の研究成果の重要性:太平洋戦争後の日本の慰霊空間は数多く存在するが、そのなかでも建築家が主体的かつ継続的に関わった事例は多くなく、東京都と相田武文氏の2つの計画は歴史的にみても重要性をもつ例である。一般に、慰霊の空間にはある種の象徴性が求められる。ポストモダニズム期の象徴性の表現において相田氏には先行する住宅作品群があるが、70-80年代の日本の建築表現の代表的な事例としても重要な意味をもつ。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
当初研究計画(3)に掲げた重要な慰霊空間についての個別研究として、平成30年度は千鳥ヶ淵と東京都戦没者霊苑を主たる対象とする予定であった。千鳥ヶ淵については先行研究の調査にとどまり、資料調査としては東京都戦没者霊苑ならびに硫黄島鎮魂の丘の2つが対象となった。また長崎についても段階的な調査をより進めていく必要がある。当初研究計画の(4)慰霊碑建築家の研究については、相田武文氏と菊竹清訓氏を対象とする予定であったが、菊竹清訓氏旧蔵資料については御遺族の方への予備調査の段階にとどまっている。
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今後の研究の推進方策 |
平成31年度は、上記にも記した菊竹清訓氏設計による慰霊空間の調査と長崎の戦後都市計画と慰霊空間の調査が課題として残っている。当初計画においては、太平洋戦全国戦没都市空爆死没者慰霊塔(兵庫県姫路市)と沖縄戦没者墓苑を対象に掲げている。前者についてはこれまでの調査の段階で、姫路市には有力な資料がないことが確認されている。記念誌、地方紙を中心にまずは調査を進めたい。沖縄については予定通り文献調査を進めていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
すでに記したが、研究計画の進捗の遅れに伴い、次年度使用額が生じている。今後は当初計画にある研究の推進に努めることで助成金の使用を進めていく予定である。
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