研究課題/領域番号 |
17K06760
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研究機関 | 京都橘大学 |
研究代表者 |
登谷 伸宏 京都橘大学, 文学部, 助教B (40447909)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 織豊系城下町 / 織田信長 / 豊臣秀吉 / 小浜 / 京都 / 寺社造営 |
研究実績の概要 |
本研究は、織田・豊臣政権が建設した織豊系城下町に注目し、その形成過程と歴史的特質を解明することを目的としている。 平成29年度は、①織田政権期における城下町形成の諸段階の把握、②中世都市(町場)・寺社などにより形成される地域社会の解明、③中近世移行期における地域の政治・社会構造、信仰形態の整理を行うため、文献・絵画史料の収集を進めるとともに、④織豊系城下町形成に関する研究支援データベースを構築することを計画していた。 以上のの研究目的・計画にもとづき、当該年度は以下の2つのテーマを設定して研究を行った。第1が、織田信長の家臣の建設した城下町のうち、従来の都市空間に大きな改変が加えられなかった小浜城下町の形成過程である。中世の小浜は大規模な湊町であったが、戦国期には若狭武田氏が港町に隣接して後瀬山城を建設し、港町と城郭・給人居住域とが並立する戦国期城下町を形成した。さらに、武田氏滅亡後には織田信長の家臣であった丹羽長秀が後瀬山城に入り、城下町の形成を進めたと考えられる。しかし、先行研究によると、長秀は後瀬山城とその城下町を織豊系城下町へと改造することなかったという。そこで、こうした長秀の城下町建設の実態を明らかにするため、『福井県史』『小浜市史』などから城下町の形成や小浜の都市社会に関する史料を収集し、その情報をデータとしてPCに入力した。 第2が、豊臣政権による京都改造と寺社造営についてである。秀吉秀吉は京都改造を進め、中世都市京都を聚楽第を中心とする城下町へと再編した。その過程や特質を把握することは、織田政権期の城下町形成のについて見通しを得るために必要な作業であると考えられる。そこで、豊臣政権による東山大仏殿の造営と権門寺社の復興に注目し、聚楽第を中心とする城下町建設とそれらとの関係、寺社造営に用いられた建築技術の特質を明らかとした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成29年度は、織田政権期における城下町形成の諸段階に関する史料調査・収集、地域の政治・宗教的環境などの確認、研究支援データベースの構築を主たる目的としていた。こうした作業はおおむね順調に進められており、小浜城下町の形成に関わる史料の収集と、形成過程や都市社会に関するデータベースの構築を行うことができた。 さらに、上記の諸段階について見通しを得るため、豊臣政権による城下町建設・寺社造営について検討し、その特質を解明するところまで到達できたと考える。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、以下の作業を進める予定である。 1)小浜城下町の形成に関する史料の収集と論文の執筆 2)織田政権期の城下町形成の諸段階について特質を解明する 3)豊臣政権による城下町建設に関する史料の調査・収集 4)研究支援データベースの充実
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