私は、脳における物体の認知機構を明らかにする目的で、アゲハチョウによる花の認知を対象に研究を進めてきた。本課題では、特にアゲハチョウの色の生得的嗜好性が匂いによって変化することに注目し、統合前の神経機構を明らかにする実験的研究を進めた。本年度は主に視覚系の最高次中枢に当たる神経群に注目し、組織学的実験の他電気生理学的実験を行った。 昆虫の視覚系では、網膜で受容された光情報は、視覚中枢「視葉」内にある第1次から第三次視覚中枢での情報処理を経て、たくさんの経路に別れて高次に投射し、他の感覚と統合される。アゲハチョウでは、第三次視覚中枢「視小葉」から「キノコ体」に投射する神経経路が特に発達しており、このことは視覚行動の発達した訪花昆虫の脳の特徴的構造であると考えている。 キノコ体に投射する視覚系神経を対象に細胞内記録および染色を行ったところ、特定の波長で興奮性・異なる波長で抑制性の応答を示すいわゆる反対色性を多数発見した。紫外・青・緑・赤の4つの単色光に対し、4種類の反対色性応答を同定した。加えて紫外から赤波長域まで23波長の単色光への応答を調べたところ、網膜にある視細胞とは異なる波長域の光に興奮性の応答し、その感度域が20ー40nmと非常に狭いものを発見した。この他に、80ー100nmと広い波長域に興奮性の応答を示すものもあった。一方、抑制性の応答が見られた波長域は、広く、複数の波長域に見られることもあった。神経の形態では、視小葉全体からと、視小葉のサブユニットからの神経を同定したが、光応答との関係は明らかにならなかった。今回の発見は、ヒト脳で見つかっている色知覚そのものを表現している神経に近く、昆虫色覚系の理解において大きな一歩となることは間違いない。
|