研究課題/領域番号 |
17K13150
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研究機関 | 東京女子体育大学 |
研究代表者 |
及川 佑介 東京女子体育大学, 体育学部, 准教授 (80592451)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 李想白の墓碑 / 勲三等旭日章 / 『RDR60』 / 『スポーツの技術史』 / 『バスケットボールの歩み』 / 無窮花大勲章 / オリンピック・ベルリン大会 / 『指導籠球の理論と実際』 |
研究実績の概要 |
李想白の功績について整理している中で、史料別にみた彼の評価を、東京体育学会で研究発表した。そのタイトルは、「日本バスケットボール史における李想白の功績について-史料別にみる評価-」である。その概要及び結果は以下の通りである。 本研究では昭和初期に日本バスケットボール界で活躍した李想白の功績に関する研究の一齣として史料別にみる彼の評価について検討した。史料は、彼の墓碑、早稲田大学バスケットボール部による『RDR60』、賞勲局が書き残したメモ書き、新聞等を用いる。彼は日本バスケットボール界及び日本スポーツ界での活動が評価され、大日本バスケットボール協会は功労者として表彰、日本政府は勲三等旭日章、韓国政府は無窮花大勲章を授与している。彼がいなければ、大日本バスケットボール協会の設立(1930年)や日本バスケットボール界の目覚ましい競技力の向上はなかったと思われる。さらに、彼はバスケットボールがオリンピックの正式種目になるために国際的に働きかけをした人物である。しかし、オリンピックでバスケットボール種目が初めて行われたオリンピック・ベルリン大会(1936年)後に、李想白は日本バスケットボール界の活動から離れていくことになる。彼の日本バスケットボール界での功績は、協会の設立、競技力の向上、外交、初のバスケットボールの国際審判員など多岐に渡っている。 本研究では、10点の史料を用いて、李想白が如何に評価されたのかを検討した結果、主に、大日本バスケットボール協会の設立、『指導籠球の理論と実際』にみられるバスケットボールの技術的な関与、国際的な活動が評価されていることがわかった。しかし、バスケットボール関係者の記事以外は、李想白について具体的な中身に入らずに評価していた。 また、現在、彼の活動、執筆等を整理し、分類しているところである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
科研費での研究のほかに、研究に関する執筆が3件入ったことで、史料収集やその整理をすることが遅れたことにより、「やや遅れている」とした。
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今後の研究の推進方策 |
現在、彼の活動、執筆等を整理し、分類している。その分類から技術・戦術に関することを取り上げ、それに、彼の主著『指導籠球の理論と実際』を重ねることで、彼が如何に技術・戦術の改革・導入を考えていたのかを検討したい。そして、彼の活動が日本のバスケットボール界の技術的向上に関与したのかを明らかにしたい。 また、彼の墓がある家族墓地の付近に、李想白の記念館が設けられたようなので、そこの調査も行いたいと考えている。
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