平成30年度では、平成29年度の研究成果に基づき、1.1930年代前半の「黒ノート」や同時期(とりわけ1933-34年の総長期)の講義録等の資料に依拠して、メタポリティークに属すると考えられるハイデッガーの人種論を検討した。さらに、2.1930年代後半から1940年代にかけての資料を手がかりにして、ハイデッガーの存在史的思索における「反ユダヤ主義」の位置づけを行った。
1.では主に以下の4点を明らかにした。(1)ハイデッガーは総長として活動した1933-34年に、ナチズムの人種主義を生物学的な人間理解だとして批判する。(2)他方でハイデッガーは、実存論的な身体論の観点から人種概念の捉えなおしを試みている。(3)だが実存論的な人種概念といえども、民族にとっては根源的なものではなく、あくまで「必要条件の一つ」にとどまるとされる。(4)「黒ノート」刊行とともに提起されたいわゆる「存在史的反ユダヤ主義」の問題は、人種論に関する以上の論点が整理されていないことに起因する。
2.では主に以下の4点を明らかにした。(1)ハイデッガーは「反ユダヤ主義」を構成する「反(Anti)」の構造を、反対しているものの本質に捕われた「単なる反対運動」と見ている。(2)したがって、ハイデッガーが想定する「反ユダヤ主義」とは本質上ユダヤ教に捕われた反対運動となる。(3)他方で、存在史的思索が定位する「別の始源」は、ユダヤ‐キリスト教、およびそれと深く結びついた形而上学の歴史の外部に位置する。(4)以上から、存在史的な視座に基づいた「黒ノート」のユダヤ批判は、ハイデッガーの立場からすれば、単なる反対運動(反ユダヤ主義)ではなく、形而上学の歴史を画定するとともに別の始源への移行を準備する、「形而上学の超克」の試みの一環とみなすことができる。
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