新型コロナウイルス感染症の影響により、本研究課題は助成期間を二年延長している。助成期間五年目にあたる令和3年度は、前年度に引き続き、これまでに入手した文献の精読および内容の再検討を行った。工学倫理における公衆優先原則、すなわち全ての技術者は「公衆の安全・衛生・福利well-being」を最優先すべきであるという原則は、依然として第一原則としての地位を保っていた。この点において大きな変化は認められないが、一方で技術者は、公衆のwell-beingのみではなく、技術者自身のそれについても、技術的営為やキャリア教育を通じて省察する必要がある、といった主張が、近年日本工学教育協会を中心に行われるようになってきた。公衆優先原則の一端を構成する"well-being"概念が、必ずしも公衆のみを対象としたものに限定されないかたちで拡張されつつある点は、注目すべき変化であるように思われる。 環境配慮義務についても、工学系学協会の倫理綱領等を広く渉猟しながら動向を確認したが、特に大きな変化は見られなかった。しかしながら、先述のwell-being概念の変容と合わせて考えるならば、公衆優先原則と環境配慮義務には新たな関係性が存在する可能性が浮上する。というのも、公衆優先原則の配慮対象が一部「公衆-技術者」の関係にまで拡張されうるならば、環境配慮義務においてもまた同じく、配慮対象が「公衆-技術者」にまで拡張される可能性があるためである。すなわち、公衆優先原則と環境配慮義務の相反問題は、「外的指針の相反が引き起こす、技術者内部の心理的葛藤」というモデルだけではなく、「技術者としての自分と公衆としての自分という、異なる立場の間での価値観の衝突」というモデルもまた成立しうるのである。こうした複数のモデルの併存可能性に関する研究をさらに進めることで、この相反問題は新たな展開を見せる可能性がある。
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