研究課題/領域番号 |
17K13349
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研究機関 | 東京藝術大学 |
研究代表者 |
金 志善 東京藝術大学, 音楽学部, 助手 (30720627)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 在朝鮮日本人 / 音楽文化 / 京城日報 / 歌舞伎 / 音楽記事 / 総力戦 / 日本伝統芸能 / 日韓近代音楽史 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、植民地朝鮮(1910~1945)における日本人社会の音楽文化受容の一側面について『京城日報』音楽関連記事・広告と、京城放送局の音楽プログラムを手掛かりに明らかにするものである。当時、在朝鮮日本人社会ではどのような音楽が、どのような方法で伝わり、どのような音楽が好まれていたのか。また、その音楽は彼らにとってどのようなものであったのかについて当時のメディア情報を分析し、音楽文化受容過程の一部を解明するものである。 このような研究目的の基、平成29年度は京城放送局(JODK)音楽プログラムのデータ(1925~1945年)を求め、抽出作業を進めている。それは、申請者が行った既存の研究成果である『京城日報』音楽関連記事・広告を基に、京城放送局(JODK)の音楽プログラムに調査・分析を加え、在朝鮮日本人社会における音楽文化受容の一側面について日韓近代音楽史の観点から明らかにしようとするものである。現在は、京城放送局音楽プログラムのうち、20年代の抽出作業が終わり、30年代を進めているところである。 また、これら抽出作業と同時に研究も進めており、平成29年度は、植民地朝鮮における歌舞伎公演の実態に焦点を当て研究を行った。その実績として、中国上海音楽学院で開かれた国際会議での研究発表1件、東洋音楽学会と韓国朝鮮文化研究会の国内研究例会発表2件で、計3件の口頭発表を行った。これらの口頭発表を基に、査読付きの論文が2本刊行されており、1本の論文は査読結果待ちである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まず、本研究の重要資料の一つである京城放送局の音楽プログラムの抽出作業が計画とおりに進んでいることで進展が見えた。また、植民地朝鮮における歌舞伎公演の実態に関する研究が、3件の口頭発表と2本の論文掲載、1本の査読結果待ちという成果を出しており、課題研究がおおむね順調に進んでいると評価できる。 以上の研究を通じて、在朝鮮日本人の歌舞伎に対する関心は高く、内地日本から多くの大歌舞伎巡業が来鮮していたことが明らかになった。歌舞伎の興行内容は日本と変わらず、現在は姿を消した女歌舞伎も日本と同様で、近代日本に存在した種々の歌舞伎公演が朝鮮においても同じく行われて、定着していた。また、歌舞伎のような日本人の文化は、時には土着民である朝鮮人の新たな文化の一つである新劇(新派)の誕生に刺激を与えた部分もあり、近代韓国文化史において示唆するところがある。歌舞伎公演は、植民地朝鮮において朝鮮の伝統芸能と交わることなく平行線をたどっていたが、当時朝鮮で行われた新劇のような新しい試みが日本の伝統文化おも模範対象としていた点は、政治的・社会的従属関係とは別に新しい文化を切り開こうとする一面が読み取れた。また、朝鮮の戦時期においては、中村吉右衛門と市川猿之助のような大物歌舞伎俳優による慰問巡業も行われており、在朝鮮日本人朝鮮軍およびその遺家族や関係者の慰安になるだけではなく、その公演収益は国防献金として納められ、慰安・慰問事業を統括していた朝鮮軍事後援連盟の運営にも役立てられていたこともわかった。当時、朝鮮総督府は、総力戦に向けた植民政策の一つである「内鮮一体」を掲げ、朝鮮人に志願兵制度や徴兵制を施行することで同化政策を行なっていたが、吉右衛門の京城青年団発団式への出席や猿之助の半島徴兵令発布記念公演は、朝鮮総督府の政策を賛同する形になりその政策の役割の一部を担っていたことが把握できた。
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今後の研究の推進方策 |
平成29年度の抽出作業と同様の手順で分析作業を継続する。それと同時に、研究目的に示した課題解明に取り込むことにする。植民地朝鮮における日本伝統芸能に関する今までの研究成果で言えるのは、日本伝統芸能は植民地朝鮮の日本人社会に深く浸透していたことである。例えば、都山流尺八の佐藤令山は15年間(1916~1930)にわたり朝鮮各地において尺八を普及した功績があり、「新日本音楽」の普及にも一部担っていた。令山は、朝鮮人音楽家との交流も活発に行っており、同じ演奏会に出演することも多かった。また、歌舞伎公演は、朝鮮人社会に馴染んで同化することはなく、京城を中心とする日本人社会のための伝統芸能文化であったと位置付けられる。ある意味、当たり前のことだが、日本と朝鮮では、異なる伝統文化がそれぞれ長い歴史を持ち栄えてきたため、従属関係にあるとはいえ、日本の伝統公演文化が植民地朝鮮社会に広まることは難しかった。 このように、朝鮮に越境した日本伝統芸能の各ジャンルによっては、その普及状況や享受形態、朝鮮人社会との関わりがさまざまであったことが読み取れる。ところが、当時は在朝鮮日本人の出身地域による特徴も現れていた。在朝鮮日本人の出身地のうち、最も多くを占めていたのが九州地域である(1930年時点で多い順に山口、福岡、長崎、熊本、広島、佐賀、大分、鹿児島、岡山、愛媛である:『昭和五年朝鮮国勢調査報告』全朝鮮編、第一巻結果表、pp64~65)。それが原因なのか、朝鮮には筑前琵琶や九州地域の民謡(鹿児島民謡《おはら節》《薩摩三下り》、佐渡民謡《佐渡おけさ》、博多民謡《博多節》など)といった九州地域の音楽公演が目立っている。 朝鮮に越境した日本伝統芸能の実態を多方面に理解する必要がでてきた。今までの研究を継続しつつ、当時の社会状況をより深く理解したうえで、更なる研究を進める必要がある。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成29年度のデータ入力作業に対する謝金が、平成30年度に一括で支払うことになっていたので使用額の差が生じてしまった。今年度は、前年度分と併せて、謝金として支払う金額が多くなるので計画とおりに助成金を使用することになる。
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