本研究の目的は、中国における旅行文化の発展過程を、絵画史研究の立場から明らかにすることにある。遂行にあたっては、具体的作品の事例研究を重視した。明時代後期(16、17世紀)の画壇を主導した蘇州(江蘇省)で作られた旅行絵画の現存例は、質・量ともに比較的豊富であるが、個別研究はなお不足している。これまでの研究成果を踏まえ、旅行絵画の歴史の理解に特に重要と考えられる画家、謝時臣と文伯仁の作品について知見をまとめた。 謝時臣(1487~?)は、蘇州で活躍した職業的文人画家で、遠方への旅行の流行を背景に旅先として人気を集めた名勝を多く描いた。「モウ川積雨図」(東京国立博物館蔵)もその一例であることに着目し、唐の詩人王維の故地である藍田(陝西省)のモウ川を詩情豊かに描いたものであることを明らかにした(「明代蘇州におけるモウ川憧憬の諸相」『モウ川図と蘭亭曲水図 イメージとテクストの交響』勉誠出版、2023年)。 文伯仁(1502~75)は、蘇州文人の領袖である文徴明(1470~1559)の甥である。その代表作「四万山水図」4幅対(東京国立博物館蔵)の主題が、同時代の詩人王寵(1494~1533)の旅行詩「五憶歌」と密接に関わることを改めて論じ、旅先として人気であった渭水(甘粛省~陝西省)、泰山(山東省)、洞庭湖(湖南省)、峨眉山(四川省)のイメージが画中に反映されていることを明らかにした(「文伯仁筆「四万山水図」について―画風と主題の再検討」『中国美術史の眺望―中国美術研究会論集―』汲古書院、2023年)。 以上2件の絵画はこれまで旅行文化との関わりを論じられることは少なかったが、本研究により、明時代後期の旅行絵画の多様性を明らかにする重要な資料として位置づけることができた。 ※「モウ」は文字化け防止のためカタカナ表記にした。Unicode:U+8F1E
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