西南戦争劇の詳細とその後の戦争劇への影響を詳らかにするとともに、演劇において西郷の造形が確立する経緯を詳らかにした。 終戦直後に上演された西南戦争劇は、新聞種と強調して時事性が強く、軍服の着こなしを重視し、漢語を使用していた。すなわち戦争の写実であることを重視しており、当時の歌舞伎は報道メディアとしての役割を果たしていたといえる。一方西郷の造形は、キワモノとしての西南戦争劇が明治30年代半ばに断絶したことを境に、大きく変化していた。その理由は、明治初年から受け継がれた西郷の造形が上野の銅像完成後(明治31年)は通用しなくなったためで、強力な視覚イメージが演劇に与えた影響が明らかになった。
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