本研究は、江戸期の庶民文芸、草双紙と浮世絵版画のうち、「食」を描くものを当時の調理、本草学上の効能といった観点から総合的に研究するものである。なぜこれらの文芸が生まれたかを、その前後に連なる食生活・習慣や同時代の他の文芸との関わりから検討し、江戸の文芸が生成される文化的背景と過程について明らかにするのが目的である。 本年度は最終年度として、文芸に描かれた飲食物の中でも、酒が表現される際の特徴について考察した。 飲食物を擬人化する黄表紙について、作中の飲食物の一覧化だけでなく、物語の展開も分類することで、酒の文芸表現が他の飲食物の場合とはどのように異なるかを検討した。黄表紙に擬人化されることの多い飲食物には、大根、ウナギ、くわいなどがあり、庶民の日常の食生活の中から、言葉遊びや著名人になぞらえて選択されたものであった。物語の展開は、飲食物同士の合戦が主であり、特に魚類と精進物の対立が目立つ。ただし、酒が擬人化される場合には、当時の銘酒と悪酒との合戦が描かれることが多いことが明らかとなった。このように質の高低で争いが起こるのは酒だけの特徴であることを指摘し、当時のブランド意識にも絡め、酒の表現の特異性を明らかにした。この成果については、学会誌への投稿、査読を経て掲載に至った。 そのほか、現代では嗜好品と分類される酒・たばこ・茶が争う黄表紙『通俗三呑志』の翻刻を行い、論集に掲載された。また、本研究で扱った資料を教材として行った、ヘルシンキ大学での講義をもととする論説がフィンランド語訳され、現地で刊行されるなどの成果があった。
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