サルトルの「単独的普遍」という抽象概念の社会的具現化の一形態、ならびにその「アンガージュマン」という継続的プロセスの帰結のひとつとして「ラッセル法廷」を位置づけ、その独自性と貢献度を考察した。この過程でサルトルがベトナム戦争時のアメリカの不正をただすとともに、そうしたアメリカに迎合的なフランスをはじめとするヨーロッパの国々の反応も明らかにしつつ、サルトルが裁判を通して新たな「真理の生成」を目指していたことを明らかにした。この際、キルケゴールとサルトルの真理の生成をめぐるテクストを読み比べ、その類似点と相違点を明らかにすることができた。 また、社会学的な観点から、「ラッセル法廷」が社会的均衡の一指標としてポリティカル・バランスの役割を担うに至った経緯を探りつつ、サルトルが「ラッセル法廷」をめぐるソーシャルメディアの恣意性について先見的な見解を表明していたことを取り上げ、その意義を解明した。ここでは、ほとんど日本の研究では言及されることのないデンマークやスウェーデンなどで発行された新聞に掲載されたサルトルのインタビュー記事を取り上げ、分析できたことが大きな成果である。 さらに、世界の3つの都市で同じ年に開催された「ラッセル法廷」の個々の特色と問題点を探りつつ、サルトルをはじめとする法廷の主催者たちが直面した問題を明らかにした。 以上のような研究を通して、未完に終わったとされるサルトルのモラル論がきわめて具体的なベトナム戦争への反対という形を通して生き続け、真理を生み出す過程として生きていることを明らかにすることができた。
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