研究課題/領域番号 |
17K13426
|
研究機関 | 静岡県立大学 |
研究代表者 |
浅間 哲平 静岡県立大学, 国際関係学部, 講師 (00735475)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
|
キーワード | プルースト / コレクター / コレクション / 画商 |
研究実績の概要 |
19 世紀後半に美術界で大きな役割を果たしたのは、画商やコレクターだった。本研究は、これらの存在を考慮することで、プルーストの言及がなくても見ていた可能性のある絵画がどのような傾向であったか、どのような美術に対する趣味をプルーストが持っていたか明らかにできると考え、調査を進めた。 実際、そのような観点でプルーストの文章を読んでいくと、いかに頻繁に画廊やコレクターのもとに通っていたのかが垣間見える。19 世紀はルーヴルに代表される公的な美術館の公開とともに、画商や個人コレクションが大きな意味を持つようになった時代である。フランスにおいて今日見られるような画商が現れたのは 1820年代頃であるが、世紀半ばにはその活動は作品の流通において無視できない広がりを持っていた。プルーストが参照したバルザックの小説『従兄ポンス』(1846)の中でも取り上げられていることからも、その活躍ぶりがうかがえる。このような画商の仲介によって、多くのコレクターは同時代の芸術家たちの作品を蒐集することができるようになったのである。こうした芸術受容のあり方は、印象派の画家たちの活躍の前提となったことは広く知られている。 プルーストが目にした絵画についての研究は、その性格上、大画家の傑作を中心に据えた今日の評価を中心にせざるを得ない。美術館などが恒久的に所蔵する作品ばかりが対象になるのはそのような理由による。本研究は、プルーストと関係のある画商や個人コレクターを調査することで、作家が生きた芸術的環境をより忠実に明らかにしようとした。今日の美術史の主流とは異なる文脈の中で、プルーストの作品をとらえ直すことが目標とされたのだ。 以上のような見地から、まずはプルーストの書いた全テクストを読むことで、作家と交流のあった画商・コレクターの洗い出しを行った。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
プルーストは美術の展覧会にしばしば通っていた。若い時期に言及の多いルーヴルとリュクサンブール、あるいは竣工の頃に訪問したとされているモロー美術館についての研究は既にある(A. Compagnon, "Proust au musee" (1999) など)。しかし、画廊や個人コレクターの邸でプルーストが鑑賞した事実は、軽視されている。私的蒐集が美術館と比べ流動的で、作品同定が困難だからだ。当該年度では、コレクターとプルーストの関係について調査してきた。 本研究は、まずプルーストがどのようなコレクションを鑑賞しに行ったのか、書簡やカタログから明らかにしようとした。対象としたのは、印象派の支持者デュラン=リュエル(1831-1922)とそのライバルだったジョルジュ・プティ(1856-1920)である。 本研究は、プルーストが頼ったもう一人のコレクターとしてシャルル・エフルッシ(1849-1905)も調査対象とした。この蒐集家の姿がルノワールの絵画に描きこまれているとプルーストが指摘していることから、モネ、マネなどの支持者としての姿が特に研究者の注目をひいてきた。実際にエフルッシ所蔵のモネについて言及する文書も残っているので、プルーストがこの人物のコレクションを見ていた可能性は高いと推測される。 プルーストは、美術の本質を探るというよりは、人々の芸術に対する無理解を描こうとした。そのためには、大画家の傑作よりはむしろ画廊や雑誌で見られる流行・通俗作品が助けとなっていたのではないか。現在では忘れられた作品がこの作家の小説で果たす役割について考究した。 以上のような調査を進めてきたことから、本研究は順調に進展していると考えている。
|
今後の研究の推進方策 |
これまでの研究で対象にしてきた美術史家とも画商・コレクターとも異なる美術の世界が、美術批評家と呼ばれる人たちによって形成されていたことに注目する。美術についての専門的な教育や直接的な作品の所有とは異なるアプローチをした者たちについて研究を進めていきたい。 プルースト自身もこのような美術への関わり方をしていたと言ってよく、従って、この圏内に入る人たちとの交流は活発だった。この美術批評家の代表ともいえるロベール・ド・モンテスキウ(1855-1921)については既に調査を行ったことがある。当時の芸術の流行を先導したモンテスキウは、例えば、現在でもギュスタヴ・モローの専門研究で引用される論考を残し、ワグナーやバレエ・リュスをフランスの音楽家たちに紹介し、ルーセルを発見したことで知られる「芸術愛好家」だった。モンテスキウによって残された美術批評がどれほどプルーストに影響を与えたかを調査し、今では顧みられる機会の少ない美術批評家の文章をプルーストが利用していることが明らかになってきた。 当該年度の研究では、これらの美術批評家の一人としてプルーストをとらえ、その集団の中での交流関係を調査することで、プルーストが美術批評界との間に築いた関係を明らかにする。
|