本研究によって、蘇軾の「和陶詩」(陶淵明の詩124首に和韻したもの)について、彼の生きた北宋中期から南宋、金、元までの蘇軾の『和陶詩集』編纂の過程と、蘇門の弟子による「和陶詩」の受容と創作から後世の詩人の創作についても系統的に明らかにし、同時に日本への受容と創作についても明らかにしてきた。 元や明の和陶詩を詠んだ詩人については、中国において幾つか研究があったため、学界であまり考察されてない受容と継承について、重点的に研究を行った。特に、蘇轍と黄庭堅については、その後の「和陶詩」の伝承において重要な人物であるため、その詩文を細かく調査し、彼らの蘇軾と「和陶詩」への思いを考察した。また、日本の蘇軾受容については、『四河入海』が有名であるが、これには「和陶詩」は入っていない。義堂周信などが蘇軾の「和陶詩」に言及しているが、「和陶詩」が全て収録された『和陶詩集』が日本に流入したのが何時頃か、明確には判っていなかった。しかし、残存する日本の蘇軾詩集から受容の様相が判ってきた。また、日本最初の和陶詩人は、江戸前期の元政上人であり、明の陳元贇との唱和集『元元唱和集』において創作している。その後、江戸時代から近代に至るまで和陶詩人が幾人かいることが判った。こうした現在残っている資料から、日本の蘇軾受容の全体像を明らかにせんとした。その中で、幸田露伴の蘇軾受容についても明らかにした。 また、蘇軾の「和陶詩」以前の陶淵明文学の受容と創作については、それぞれ多くの先行研究があったので、それを基礎に特に李白と王維の受容の一端を明らかにし、それを学校教育の現場で活用できるようにまとめた。 その成果となる論文を投稿して多くは掲載を許された。但し、分析と考察を進めたものの、まだ論文にまとめていないものもあるので、それについては追って行うつもりである。
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