本年度は複合語と句の相違点に着目した研究を行った。両者の違いを示すとされるものにも様々あるが、その最たる例が「複合語は、句と違い、その内部に統語操作を受け付けない」というものであろう。語一般に見られるこのような特性は語彙的緊密性と呼ばれ、語が文法上独立したステータスを持つことを示す証拠と考えられてきた。語彙的緊密性を擁立する研究者たちはレキシコンあるいは形態論と呼ばれる、句形成とは異なる部門を設定する。句形成には形態論で作られた語が必要となるのであるが、句形成部門に語が送られてきた段階ではその語の内部構造は不可視となっている。したがって、統語操作が語内部の要素に適用できないとされる。本研究ではこのような考え方を採用せずに従来句形成を説明する際に用いられてきた道具立てのみで語彙的緊密性の説明を試みた。具体的には、Marantz (2007) にしたがって語を一つのフェイズと仮定することで、例えば、語内からの抜き出しができない事実等の説明を行った。これにより語彙的緊密性は最早複合語と句の相違点として見なす必要はなくなったといえる。それでは、複合語と句は文法上全く相違のない要素なのかというとそうではなく、依然として相違点と思しきものが観察される。その一つが「複合語は、句と違い、その内部にD要素を含み得ない」という点である(例:*truck driver vs. [[the truck] driver])。この事実に対する明確な説明は今のところないが、D要素がフェイズを形成する要素の一つと考えられていることと何らかの関連があると思われる。もしこのように複合語と句の相違点とされてきたものに対して句形成と同様の説明を与えていくことができたなら、両要素の違いは限りなく少ないものになっていくと考えられる。
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