強訴消滅後に朝廷・室町幕府と興福寺との間を取り次ぐ存在として史料上現れる南都伝奏については、登場時期については明らかにされていたものの、登場経緯については不明であった。 本研究では、強訴消滅前後の両者間の交渉を検討することにより、事実上神木入洛を伴う最後の強訴となった康暦の強訴において両者間を奔走した二条良基の活動が南都伝奏の原型となったことを明らかにした。また、その南都伝奏を通じて幕府から興福寺に対して高圧的な統制がなされたと考えられてきたが、それは興福寺別当の権威失墜とより上位の権力と結び付きたいという興福寺内部の動きがあってはじめて成立したものであることも指摘した。
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