研究課題/領域番号 |
17K13536
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研究機関 | 帝京大学 |
研究代表者 |
宮川 麻紀 帝京大学, 文学部, 准教授 (60757079)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 日本古代史 / 歴史地理学 / 地域史 / 交易 / 市 / 津 / ミヤケ / 交通 |
研究実績の概要 |
ヤマト王権によるミヤケ設置や開発の様相を明らかにするため、播磨国揖保郡を対象として文献上から検討をするとともに、現地踏査をして地名や地形からも分析した。その結果、以下の内容を明らかにすることができた。 播磨国揖保郡佐西には、法隆寺の荘園である鵤荘が置かれていた。この荘園について記録した嘉暦4年(1329)「法隆寺領播磨国鵤荘絵図」からは、ミヤケに関連する地名の存在が分かるとともに、『播磨国風土記』からは田部などミヤケ開発にあたった人々の動きもみてとれる。この荘園は推古朝に厩戸皇子が賜与された土地がもととなっており、ミヤケにまで遡らせることができる。すなわち、ミヤケから上宮王家の所領を経て、法隆寺領荘園となったことが分かる。 そうした来歴に加えて、文献史料の分析や現地調査、条里の復元などを通して、この地には宇須伎津など複数の津が近在し、水上交通が発達していたことも明らかとなった。そうした津や水上交通の開発には、阿曇氏が関わっていた可能性が高く、彼らをはじめとする諸氏族を当地へ移住させることで、王権が開発を進めたことがうかがわれる。 また、山陰地域や吉備などとの陸上交通も盛んであり、多くの人や物がこの地へともたらされていた。当地は山陰地域や内陸部と瀬戸内海とを結ぶ地としても大きな意味を持っており、水陸交通の結節点であった。そうした地に置かれたミヤケの役割には、水田経営の拠点や政治・軍事的拠点としてのみでなく、物資運送や交易の拠点としての意味ももっていたといえる。ヤマト王権がミヤケ設置にともない、水陸交通路や津などの開発も行っていたことを明らかにすることができた。 これらの研究成果は、刊行予定の著書に含む論文として執筆した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初の計画通り、播磨国揖保郡の開発に関する研究を行うことができた。今後も分析を続ける必要がある点が残りつつも、文献史料の分析と現地踏査の両方を実施することができ、順調に進展しているといえる。成果も論文として執筆することができたので、本年度の研究は一定の成果を出すことができたと考えている。 また、研究計画書に記した以外にも、京の市や「店」についての研究を進展させることができ、その成果はこれまで行ってきた開発と交易に関わる研究と深く結びつくものであるため、やはり順調に成果を出すことができていると判断した。
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今後の研究の推進方策 |
今後は伊予国の法隆寺庄倉や備前国の大安寺領荘園を対象として、検討を進める計画である。 これまでの研究方法と同様に、まずは文献史料から寺院の荘園や庄倉の比定地や特徴を分析する。そのうえで、地名や地形、条里復元、文献史料などから、ヤマト王権の開発やミヤケの設置にまで遡らせることができるか否か検討する。さらには、当該地の水上交通や陸上交通のあり方を分析し、ミヤケ設置や王権の開発とどのような関係性があるのか、その開発に関わった氏族にはどのようなものがあるのか、考察する。これまでの研究成果と合わせて、ミヤケの諸機能の一つである物資運送・交易拠点としての役割にも注目していきたい。 また、これまで実施できていない渡来系氏族による開発の考察も行うため、韓国出土木簡の検討も行いたい。さらに、研究計画に記した以外の市や津に関する研究も、引き続き行う予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
当該年度に予定していた韓国木簡の調査研究のための出張へ行けず、結果として次年度使用額が生じてしまった。翌年度分として請求した助成金と合わせて、韓国での調査研究のための旅費や、研究計画書に記した国内各地での調査研究旅費、それらに必要な書籍の購入などにあてる計画である。
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