ヤマト王権によるミヤケ設置の経緯や、交通路・港湾施設などの開発、あるいはそれらと流通経済との関係性について、現地で調査しながら研究してきた。しかし、2020年からの新型コロナウイルス感染流行にともない、その実施が困難になった。また、2020~2021年度は産休・育休取得のため研究を中断し、2022年度は研究を再開させたものの、育児のため現地調査は実施できなくなった。そのため、研究計画を見直し、日本古代における交易のあり方や流通拠点の様相、商人の存在形態などについて、主に文献史料から検討することとした。 より具体的には、古代の人々が何をどのような場所で売買していたのか、主に六国史や平安時代の古記録、「正倉院文書」をはじめとする古文書、『日本霊異記』、『今昔物語集』などの説話集から検討した。これらの史料には、畿内を中心とする市や津といった交易拠点や、その周辺に広がる交通路、港湾施設などの様子が記されており、そこでどのような物が交易されているのかも具体的にわかる。そのため、売買される物資のデータを集め、整理するとともに、7世紀後半から9世紀前半までにおける市や津の変遷について検討した。 また、古代には「商人」がいないと言われることもあるが、実際には専業の「商人」と考えられる人々がいたと思われる。それは平安時代の史料に「市籍人」と記される人々であり、彼らは京の東西市に常設店舗を出し、東西市司に仕えていた。そうした「商人」のあり方や、それ以外の形態の「商人」たち、例えば遠距離交易や行商をする人々についても、様々な史料から研究を進めた。 さらに、今年度も12世紀の貴族である源俊房の日記『水左記』の校訂・注釈作業にあたる機会をいただいたので、平安時代の人々の生活や交通のあり方について検討することができた。
|