二年間の成果をふまえ、戦時労働力動員を担った職業指導所から勤労動員署への移行と活動実態を鳥取県の公文書史料より検討し、同時に動員に対する斯業職員の業務意識を職員の機関紙及び戦後の同人誌より分析した。 まず、鳥取県立公文書館所蔵史料では、総動員体制の帰結点として、アジア・太平洋戦争中における労務動員の実態が解明できる、鳥取県公文書館所蔵の「旧大山村役場資料」を悉皆調査する。簿冊『昭和19年労務動態関係綴』など、戦時期の動員の実態を解明する貴重な史料を分析した。想定以上に多くの量があり全ての分析に至っていないが、国営化後急速に展開する動員業務に対応する村政への影響が確認され、勤労動員のみならず多様な労働力の供出に際しての村長と労働者との往復書簡からは過酷な待遇を訴えるとともに農繁期の帰省を要請する記述が確認でき、国家総動員体制が多くの調整を行いつつ、生活への負担を強いていたことが明解になった。 上述の勤労動員の展開に関する、斯業関係者が寄稿した機関紙『職業紹介』などの近年復刻された史料と戦後関係者で結成された同人誌の分析も部分的に行った。戦時下の動員業務に関する言説自体が個人の事情に応対するそれまでの職業紹介事業とかけ離れたこともあってか、求人者への同情や、業務遂行に対する達成感などは見られなくなった点が確認できた。また戦後の同人誌では相互の職務に対する経緯が見て取れるものの、戦時期への言及はそれほど多くないこともわかった。戦時期への認識は今後個人史料や戦後の各種資料を通じて分析していく必要がある。
|