本研究の目的は、古琉球期における国内資料を網羅的に分析し、資料作成に仮名文字が選択された背景を考察することにある。題材としては、主として石碑を扱った。 古琉球期作成の碑文には、漢文と仮名文が存在する。これらの碑文の研究から、琉球固有の名詞や単語(「天つぎ王にせの、あんじをそひがなし」・「あんじべ・あすたべ・大やくもいた・里主べ・けらへあくかべ」等)を用いるのは仮名文の方であり、漢文では、漢語(「国王」・「公卿・大夫・大臣・百官・庶人」等)を選び直して使用していることが明らかになった。仮名碑文を表面に、漢碑文を裏面に配置する碑文の作り方からも、古琉球期には仮名文字が選択的に使用されていたことが読み取れる。仮名文字の使用は、国家運営の大きな枠組みと密接に関わっていたと言える。 明皇帝からの冊封によって与えられる「中山王」号と明皇帝の権威は、東アジア世界において琉球の位置づけを示す重要なものであるが、あくまで対外的な要素である。対外的な要素によって担保される権威は、国内機構が未成熟であった時期には重視された。しかし、中央集権的国家体制が形成されるに伴い、対内的に国王権威を称揚する琉球独自の要素として、仮名を用いた国王顕彰碑が作成されるようになっていったと考えられる。 仮名文字を用いて作成された石碑は広く人々の目に触れるものであり、琉球国王の対内的な権威付けの役割を担っていた。碑文の作成者について、①碑文を起草した主体、②文章を彫刻し、石碑の作成を担当した者という二つの側面から、分析を行った。その作成に携わる技術者の育成や、それを管理する役職(「奉行」)の成立など、石碑作成が王府組織の中に位置づけられていく過程を明らかにした。
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