本研究では、モンゴル方面に対する明朝の影響力の推移が、明朝中央の政治制度にいかなる変遷の契機をもたしたのかを究明した。その結果、土木の変に象徴される明朝の軍事的プレゼンスの後退が顕著になったことを契機として、皇帝の冒険的行動を抑制しつつ、安定的な皇位継承を行うための制度の整備が促され、それを担う内閣の職掌が形成されたことを明らかにした。また、ほぼ同時期に、明朝の国家としての自画像を描くために官撰の地理書・歴史書が編纂された経緯を究明した。これらの成果により、北方との関係は、明朝の政体のあり方、さらには国のかたちについて変容を迫る画期をもたらす要因であったことを把握した。
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