18世紀から19世紀にかけての京師においてどのような救貧事業が実施されていたのか、政府の統治と民間の善堂の活動の双方に着目して考察していった。本年度は主に、これまで収集した乾隆年間・嘉慶年間・道光年間の各種の公文書史料の整理・分析を実施し、研究全体を総括していった。その中では京師の善堂の活動実態や運営状況、共同墓地の運営に関する新たな発見もあった。従来は普済堂・功徳林・育嬰堂といった比較的規模の大きい三つの善堂が注目されてきたが、そのほかの中小規模の善堂の事例や、共同墓地や遺体の埋葬に関する史料を検討したことで、京師の救貧体制のあり方や、政府と民間の善堂との関係をより深く考察することができた。善堂の運営をめぐる問題についても、政治的な文脈・派閥にも留意しながら検討を進めていった。これらと並行してこれまでの研究成果を総合して、18世紀から19世紀にかけての政府・民間双方を合わせた救貧体制の全体像を検討した。京師では清朝政府が冬季の炊き出しや衣料の提供を毎年実施しており、さらには普済堂・功徳林・育嬰堂といった善堂への支援も行っていた。京師の救貧体制について考察するには、政府による救貧事業と民間の善堂の活動実態とを組み合わせて考察することが重要となる。政府による救貧事業の実施については、対象とする時期を咸豊年間・同治年間・光緒年間にまで広げることでより長期的に検討することを今後の課題としたい。
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