研究課題
若手研究(B)
本研究は、18世紀から19世紀にかけて清朝の首都であった北京における貧困問題と救貧体制の分析をおこなったものである。清朝は医療制度の構築には消極的であり、医療面での行政的・財政的負担はそれほど大きくはなかった。清朝は救貧施設を用意し、冬の炊き出しも実施するとともに、普済堂のような民間の救貧施設へも資金援助を行っていた。政府の支援は介入の理由にもなり、嘉慶帝は北京統治の一環として普済堂のような代表的な救貧施設への監督を強めた。
明清史
本研究は、清朝による救貧政策の実施、民間の善堂の活動、治療を媒介とした人々の関係構築という視点から、特に北京の救貧体制を考察したものである。従来の清代北京史研究では十分に議論されてこなかったが、清朝による統治の性格や都市の実態について理解を深めるには、政治史と社会史とを結びつけてこれら諸問題を論じることが重要である。本研究は清代の北京や清朝の統治手法について理解を深めるだけでなく、近代史研究にも寄与できると思われる。