中国・西周時代の都の性格とその構造を明らかにし、中国の都城発展史における基礎的な資料を提供することが本研究の目的である。 令和元年度は、①西周時代に先行する新石器時代末期の都市遺跡である平糧台遺跡の発掘調査に参加し新たな資料の収集に努めるとともに、②同じく西周時代に先行する殷墟遺跡内の踏査を行い、西周期の王朝による新石器時代末から西周時代にかけての都城の変遷について検討を行った。 ①について、河南省淮陽県に位置する平糧台遺跡の城内南部建物群において、北京大学考古文博学院・中国社会科学院考古研究所・河南省考古研究院が合同で行っていた発掘調査に、平成30年10月13日から17日までの期間参加し、平糧台遺跡の建築遺構の分布と城壁との位置関係を確認するとともに、そこから出土した新出資料の収集・分析に努めた。これまでの調査によって平糧台遺跡は城壁や排水管を備えた都市遺跡であることが知られていたが、本発掘において城壁内に複数の連結式平地住居による居住空間がもうけられていたことが明らかになった。華北地域における新石器時代末の都市遺跡の構造を確認することができたのは、西周の都との比較という点で重要であった。 ②について、河南省安陽市に位置する殷墟遺跡を踏査した。当遺跡は、西周に先立つ殷王朝後期の中心地だと考えられている。 安陽工作站の牛世山氏の案内で2018年度より殷墟遺跡内で調査中の池(貯水池)遺構を見学し、殷墟遺跡の宮殿区の西部に巨大な人口の貯水池があったことが明らかとなった。この貯水池は殷墟遺跡の北を流れるエン河の水を引き入れた可能性が高く、殷墟遺跡の基礎工事のための土の採取場であったと考えられる。殷墟遺跡における貯水池の存在は、拠点に伴う水路・護城河の形成過程について大きな示唆を与えるものであった。
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