研究課題
若手研究(B)
南方熊楠の英文論文に関する調査を、イギリスおよび和歌山で実施した。19世紀後半に『ノーツ・アンド・クエリーズ』や『ネイチャー』のような学術誌でありながらも、商業誌である雑誌群が出現したことによって、潜在的な知識人層の知見が共有化され、科学や学問が急速に拡大した。そのことによって科学技術の社会における重要性が増し、現代へとつながっていくことになる。そのなかで南方熊楠が果たした役割は、学問世界が世界化する過程で、ヨーロッパ/アメリカ的な知を、アジアからの情報によって相対化させたことにあった。
科学史
南方熊楠は『ネイチャー』に投稿した最初期の日本人であり、『N&Q』誌なども合わせれば、英文論文の総数は約400篇にのぼる。これほど大量の論文が世界最高峰の科学誌・学術誌に掲載されえたのは、アジアの知見を欧米の科学・知識と照応させながら紹介できたためであった。一方で、100篇近くは掲載を拒否されている。アジアに独特の伝統知を扱ったものに多く、それらは同時代の欧米の研究者には受け入れられなかったことが明らかとなった。