本研究は、19世紀イギリスの感染症の予防を題材として、公衆衛生と自由を両立させることが可能な思想的基盤を探求することが目的である。本研究は、具体的には4つの柱によって構成されており、①チャドウィックおよびミルの法哲学的分析、②感染症予防法や公衆衛生法などの法整備における議論と反発の分析、③コレラや結核などの具体的な感染症の予防と反発、④反ワクチン運動の分析である。 令和4年度は、日本倫理学会において「感染症の統治と良き市民たち」と題された発表を行った。この発表では、現在進行している自粛を中心とした予防対策を統治として分析するために、19世紀イギリス末に作られる、自由を軸とした感染症の統治と、その統治と共鳴するような「良き市民論」という思想の流行を合わせて考察した。 自由を軸とした感染症の統治は、強制的な公衆衛生的介入を廃止するとともに、早期発見早期治療を軸としたより柔軟で自由を尊重する介入へと変化することを目指した。その中心となるのは届出義務や隔離であるが、人々が任意で従うことを基本としている。そのような統治が可能になる一つの要因として市民の自発的な参加を促進するような思想「良き市民論」が普及したことが挙げられる。 良き市民とは、市民権や公民のような政治的意味は含まれず、もっぱら隣人に配慮して良く生きることを意味していた。感染症に関して言えば、他者を危害するような行動を控えるということであり、咳や唾のエチケットを守ることなど、他者と共存するための必要な行動を主体的に取るように、病院やサナトリウムなどで教育がなされた。このように、直接的な規制ではなく、市民に対して間接的に距離をおいて働きかけ、意識の変革を行うことで、自由と両立する感染症予防が可能になると考えたのである。 前年度と同様に、渡英の機会をうかがったが、コロナ禍等状況を考え断念した。
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