開港地であった函館においては、司法省と開拓使の共働により、渉外関係事件の迅速かつ公正な処理の必要性から、明治7年には早くも裁判所が設置されたのに対し、開拓使の本庁が置かれた札幌においては、裁判所の早期設置を求める開拓使と、費用対効果が見合わないとして設置に消極的な司法省との間で対立が続き、政府が一旦決定した明治12年での裁判所設置は棚上げとなり、結果的に明治15年初めにようやく実現した。「内地」への編入の途上の明治前期北海道において、開港地であった函館では例外的に「内地」並みの裁判所の早期設置が実現し、幕末に決定した函館開港が司法制度の導入、拡充に一定のインパクトを持ったことが示された。
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