錯誤者は過失ある表意者であるにもかかわらず、我が国では錯誤者の責任について十分に検証されないまま、民法改正が進められた。本研究は、錯誤者を「過失ある表意者」として捉え、我が国の伝統的な錯誤論を批判的に分析したものである。日本錯誤論の特殊性を見定めるため、比較法としてドイツ法とイギリス法の分析を加えた。前年度の研究成果では、ドイツ民法は錯誤者に対して損害賠償責任を課しており、直接的に錯誤者の責任を追及する法体系であること、こうした体系のゆえに詐欺と錯誤が競合する事例ではまず詐欺が主張されること、以上の点から「詐欺を広く解釈すれば錯誤の役割は小さくなる」ということが理解できた。イギリス法分析でも同様の結果が得られた。すなわち、イギリス法は錯誤者による錯誤の主張を厳しく制限し、間接的に錯誤者の責任を追及する法体系であり、その背景として不実表示が重要な役割を果たしてきたことが判明したのである。こうした独・英の法状況とは異なり、我が国では「故意」要件が桎梏となり、詐欺を理由とする救済が極めて困難である点に特徴が見られる。我が国では「過失の詐欺者」が免責される結果、被欺罔者の救済を錯誤法に求める必要が生まれ、ここで疑似的に成立する「被欺罔者=錯誤者」という構図が解釈論を歪め、本来は「過失ある表意者」であるはずの錯誤者を免責することが正当化されてきた。錯誤と詐欺が密接に絡み合う中、我が国では「過失ある表意者に甘い」という実態が浮き彫りとなった。 以上の研究成果については、岩本尚禧「錯誤者の責任」松久三四彦 他(編)『社会の変容と民法の課題[上巻]-瀬川信久先生・吉田克己先生古希記念論文集-』(2018年)143頁以下として公表することができた。 最終年度では、上記研究成果の精度を高めるため、追加的な裁判例の分析に取り組み、また他研究機関における研究会報告を通じて疑問点の解消に努めた。
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