本研究は、暴力の記憶のグローバル化の可能性と境界について探るため、東南アジアにおける、広島・長崎への原子爆弾の投下及びその惨禍に対する意味の諸相を明らかにする。そのために、 (a)海外にて原爆展などを開催する日本の関係団体を対象として、世界に発信されている原爆の惨禍の意味について検討する。また、(b)日本による占領統治を経験したシンガポール、(c)第二次大戦後にジェノサイドを経験したカンボジア、(d)現在も武力紛争を経験するフィリピンに焦点を当て、関連する事例をもとに、これらの国々で原爆投下とその惨禍がどのように記憶されているのかを探ることを計画していた。 助成期間を一年延長して迎えた本年度は、新型コロナ・ウイルス感染症の流行が収まらず、国外調査を実施することがかなわなかった。同様に、国内調査も十分に行うことができなかった。再度の延長も検討したものの、次年度の状況も不透明なことから、これまでの調査の整理に加え、あらためて (a)日本から国外に向けてどのように原爆の災禍を発信していったのかを文書資料を中心に探った。その中で着目したのは、広島市行政の役割である。特に広島市が長崎市とともに、世界の他の都市と連帯し、核兵器廃絶に向けて具体的に働きかける経緯について調べた。これは原爆の災禍から導き出される「核兵器廃絶」という意味がどのように具体的なアクションにつながっていったのかを調べるものであった。 他方、昨年度に引き続き、日本の原爆被爆者たちが原爆の災禍をどのように捉え、そこにいかなる意味を見出そうとしてきたのかを探った。また彼・彼女らの運動が持つ国際的な側面と国内的な側面について検討した。
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