本研究は、暴力の記憶のグローバル化の可能性を検討するため、東南アジアにおける、広島・長崎への原子爆弾の投下が持つ意味の諸相を探った。特にシンガポールでの現地調査から浮かび上がったのは原爆の災禍が持つ意味の二面性であった。一方では、日本による占領や支配が負の記憶として大勢を占める中で、原爆の投下は日本の支配からの解放のシンボルとなっていた。他方で、少ないながらも、核兵器という暴力がもたらした苦しみに対するまなざしも垣間見られた。 また、日本国外で原爆展や証言活動など実施する日本の関係団体の調査からは、原爆の災禍に見出される意味が当該の団体の目的や相手の地域によって変わりうることがわかった。
|