細胞膜に存在する秩序的膜領域「脂質ラフト」は信号伝達の足場となることが知られ注目されている。これまでラフトの膜物性や構造は、ラフト様秩序領域と無秩序領域が相分離した人工膜を用いて研究されてきた。しかし、これらの先行研究では、ラフト様秩序領域は均一な「相」とみなされており、秩序領域内部で生じる脂質充填構造の不均一性についてはほとんど議論されていない。近年我々は、単一の秩序領域内でも脂質の分布が不均一であり、中心部から周辺部に向かって徐々に組成が変化することを報告した。その場合、脂質充填構造も領域内で不均一が生じるはずである。しかし、脂質膜の構造解析で頻繁に用いられるX線のサイズは秩序領域よりは大きいため、秩序領域内部の構造を調査するのは困難であった。 そこで申請者は、X線に比べて収束性に優れた電子線を走査することで、秩序領域内部での脂質炭素鎖充填構造を調査できるのではないかと考えた。一方、電子線は脂質膜に大きなダメージを与え、その結果脂質の充填構造が変化させることが危惧される。まず、申請者は脂質膜に対する電子線の照射強度の最適化を行った。その結果、100 keVの加速電圧下において、4.0 e/nm2s以下の電子照射量であれば脂質炭素鎖由来の散乱をほぼ非侵襲的に取得できることが分かった(低流量電子線散乱法; LFED)。次に、秩序的膜領域の表面で、電子線を走査することで、領域内部における脂質充填構造の不均一を調査した。その結果、単一の領域内には炭素鎖の充填方向が異なる複数のサブドメインが存在することがわかった。さらに、領域の中央部では大きなサブドメインが形成さるのに対し、周辺部では小さなサブドメインが形成することが分かった。
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