前年度までの研究で、地方における能楽享受のありようを調べることが、近代初期の素人の動向の把握につながるということが見えてきた。この点に関して、いわゆる地方都市で活動し、いわば外側から能楽文化を支えてきた人々の動きに関するフィールド調査の結果を論文にまとめた。検討を通じて見えてきたのは、次のことである。明治以降、能楽の享受層が拡大していくにつれ、享受(/教授)のあり方も次第に変化を見せた。地方では能を身近なものとして享受し、例えば技能の程度や教授資格の有無などに拘泥せずに、謡や舞、囃子の実践を楽しむという風土が広がっていった。このような、素人を中心に展開した文化の能楽享受のありようが、能楽人口の維持・増大と伝統の継承に寄与した側面があったことが確認された。 このほかに、複数の執筆および口頭発表の機会を通じて、上に書いたような文化の享受のありよう、そこで機能していた教授法・学習法が、伝統芸能の他のジャンルやアジアの音楽の実践にも共通して見られるものであること、そしてそれは、今日における伝統文化の存在意義、伝統的な感性やものの見方生かした教育活動の再編という観点から、吟味に値する可能性を持つことを指摘した。本研究の論題が、さらに我々の視野を広げ得るものであることが確認できた。 なお、ここで明らかにしたような地方の能楽享受のあり方は、近代以降に突如として現れたものではおそらくない。江戸時代以前から、謡をある種の嗜みとして愛好する風潮は武家社会を中心に存在したし、近代以前には現代の我々の考える〈娯楽〉の範疇におさまらない多様な趣味的活動があったことは多くの研究によって指摘されている。そうした側面とのつながりの有無、継承された場合はその経緯などについては、本研究の成果とそれらの研究との接合をはかるなどして今後さらに検討する余地がある。
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