研究課題/領域番号 |
17K18118
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研究機関 | 津田塾大学 |
研究代表者 |
工藤 芽衣 津田塾大学, 国際関係研究所, 研究員 (70433878)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | マルジョラン / 新自由主義 / ヨーロッパ通貨協力 / 欧州統合 |
研究実績の概要 |
平成29年度は、1950年代前半マルジョランがOEEC事務局長の職にあった頃のヨーロッパの国際収支不均衡問題に対するマルジョランの姿勢の中から、マルジョランがヨーロッパ問題の「新自由主義的」解決を図ったのかどうかを考察した。 1951年~52年にかけての国際収支危機の克服にあたり、マルジョランは「ケインズ主義的」方策で乗り越えるか、急進的「新自由主義者」の求める方法で危機を乗り越えるのかという問題に直面した。EPU運営委員会の中には、超国家的組織のもとで通貨統合、財政統合を一挙に進めるべきであるという意見を出すものもいた。これに対しマルジョランは、同時期のOEEC加盟国の多くがケインズ主義的国内政策を実施していること、早期の全面的自由化を警戒していることに配慮し、通貨統合案に賛同することはなかった。一方で、OEECでは幾つかの諸国から検討を求められていたEPUを大西洋規模に拡大するという「大西洋決済同盟」を通じて、赤字国ファイナンスをさらに行うことに共感していた。 以上の分析から、「ケインズ主義」政策の維持に重点を置いたマルジョランの国際収支危機問題への対応は、フランスの「新自由主義者」の中でもより厳格な財政規律を重んじたジャック・リュエフなどとの考えとは異なるものであったと評価することができる。ただし、今後の課題として、①フランス的「新自由主義」と介入主義、フランスにおけるケインズ主義の位置付けについて再検討し、その上でマルジョランの「新自由主義」を捉え直す必要があること、②この時期のマルジョランが、OEECにおいて個人的考えよりも事務局長としての立場を重んじて政策を決定していく傾向にあったことにも配慮する必要があることを確認した。 研究環境を整えるための物品購入を行った他、ヨーロッパ統合史フォーラムの場で研究方向を行い、今後につながる重要な示唆をいただいた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成29年度は、研究課題は予定していた通り、50年代前半の国際収支危機を中心に進め、今後の課題を明らかにすることができた。次年度のテーマである50年代後半の通貨協力提案についても、二次文献を元に着手のための下準備をすることができた。従って、概ね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
平成30年度は、1950年代後半のマルジョランの国際収支危機に対する姿勢を明らかにする。1950年代前半、OEEC事務局長時代のマルジョランは、国際収支赤字国に対するファイナンスに寛容であったという点で対外政策においてケインズ主義的であり、国内政策においても、OEEC加盟国が国内の介入主義的政策と両立可能な形で自由化を推進できるようにと配慮しつつ国際収支問題に対応していた。一方で、1955年OEEC辞任後はこうした姿勢が一変する。戦後復興期が終了し、1957年にローマ条約が調印されるなど、西ヨーロッパが自由化へと本格的にスタートしようとする中で、マルジョランのインフレに対する姿勢がより厳しいものとなるからである。このようなマルジョランの姿勢の転換は、1958年に発生したフランスの国際収支危機への対応の中で明らかにできると考えられる。 特に着目するのは、1958年の国際収支危機に対するフランス政府の対応として、既存の国内政策と国際収支均衡に向けた対応を、いかなる手段を通じて実現しようとしたのか。また、マルジョランはフランス政府の対応に関してどのように考え、どのような提案をしたのかである。関連する問題は、フランス政府によるローマ条約第108条の発動の問題、1958年にマルジョラン、トリフィン、モネらが検討したヨーロッパ準備基金構想およびヨーロッパ通貨協力構想である。 また、本研究課題に関連する一次史料収集を行い(ジャンモネ財団、HAEU、仏国立公文書館、仏アヴェロン県史料館など)、口頭での発表および論文投稿を通じて成果を公開していく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
支出項目のうち、最大の支出を予定していたのが史料収集のための旅費であったが、幾つかの史料館を訪問するにあたっての史料館の都合と自分の渡航可能日程を検討したところ、当年度に史料収集を行っても効率的行うことはできないこと、一方で次年度に繰り越すことで次年度の史料収集をより充実させることができると判断し、平成29年度のヨーロッパでの史料収集は見送った。ただし、予定していた史料収集はどちらかといえば次年度に備えての準備作業であり、平成29年度の成果に関しては、以前からの収集してきた史料とオンラインで利用可能なものがあったため、これによって平成29年度の研究実績が著しく阻害されることもなかった。
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