本研究は、近代中国における宗族が自己の存続のために、いかに思案し変革しようとしたのかという関心に基づき、1930年代の広東省に焦点をさだめ、広東省政府の宗族に対する認識や扱い方、および同時期の宗族の形態と自己意識を解明することを目的とするものである。 本研究の第2年目となる2018年度は、上記の「広東省政府の宗族に対する意識や扱い方」について、昨年度に収集・整理した史料を利用し研究・考察を進めた。 1930年代の広東省では、南京国民政府から事実上独立した陳済棠政権が、その「正当性」を示すべく、孫文が「建国大綱」にて言及した地方自治を実施するために、県およびそれ以下の行政単位において、県参議会(県議会)および自治機関の設置を試みた。 確かに、新聞史料を閲覧する限り、省内各地に県参議会や自治機関が設置されたが、その実態は、民衆参加による民意機関とは言いがたいとの報告が相次いだ。そこで、広東省台山県の各自治機関の状況について考察を進めた結果、自治機関は、宗族内あるいは宗族間のトラブルを解決する場であり、宗族の耆老や父老がその調整役を担っていたことが明らかになった。すなわち、陳済棠政権の地方自治政策は、基層社会に受け入れられたものの、その実態は、宗族による「自治」として運用されており、広東基層社会の構造は、清朝末期以来、変わらない状況にあったといえよう。 その背景を探るべく、地方自治あるいは地方の各種政策に関わる経費に着目し考察を進めた。その結果、住民への福利を提供する十分な財力を、地方政府は維持できず、同族の共有財を有する比較的規模の大きな宗族に頼る必要があった。その具体的構図について、国防公債の購入負担および食糧難への対応として、地方政府が宗族に依存していく経緯を明らかにできた。
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