本研究は近代中国における宗族の持続性を解明することを目的とし、(1)広東省政府の宗族に対する認識や扱い方、(2)同時期の宗族の形態と自己意識の解明をすべく、1930年代の広東省を統治した陳済棠政権による広東固有文化の創設と明徳社の組織に着目する予定であったが、世情の影響にともない、具体的な検討内容を以下のように変更し、上項(2)宗族の形態と自己意識の解明を進めた。 2021年度は、清末民初期の広東省信宜県を事例として、その宗族結合の持続性を革命運動のなかでとらえ、その持続性に対する見解を示すことができた。 具体的には、信宜県の5姓の有力宗族のうち、陸姓と林姓に着目し、この2姓の宗族出身の青年が革命へ参加する経緯を明らかにした。 清朝末期における治安の悪化や西洋列強の進出による地域社会の危機は、信宜県とその近隣において、地域エリートの人的なつながりを形成した。彼ら(地域エリート)は、「近代」への関心から、近代的な学校を創設し、そこ(学校)に、陸姓と林姓の青年が集い、革命思想を学び、地域社会の「光復」をなしとげる。 その後、信宜県とその近隣地域は、軍閥に占領される。これに対して、青年同族は、継続的に革命運動へ参加し、また。同郷や同族の伝手を通じて革命政権への就職という社会上昇を実現する。そして、省都の広州から郷里の回復と復興を主張していく。信宜県の有力宗族の青年にとって、革命へ参加することは、自己の社会上昇をはかる手段であり、そのために、同族や同郷との関わりは必要不可欠なものであった。
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