本研究では、美術作品の鑑賞場面において、鑑賞者の声や会話がどのようなものとしてとらえられていたのかという点について、思想史的な検討を行った。特に着目したのは、ともに「美術館」という鑑賞のフォーマットが成立し、根付いていく途上にあった一七世紀から一八世紀にかけてのヨーロッパと、明治時代後半から大正時代にかけての日本の状況である。 このうちヨーロッパについては、一七世紀フランスの絵画愛好家たちが、美術作品の前での対話を重視し、対話を鑑賞経験の重要な一端だと考えている点を、具体的に明らかにした。アンドレ・フェリビアンやロジェ・ド・ピールといった当時の論者の対話篇を分析し、会話に参加する話者の態度や口調が「紳士的」なものであることが、鑑賞の成否を左右している様子を示すことができた。 また、一八世紀以降の美学・美術批評の成立のなかで、そうした声を介した鑑賞のあり方が次第に傍流に置かれていくことも指摘した。ディドロ、ボードレール、ゾラ、ヴァレリーといった哲学者・文学者・批評家たちは、作品鑑賞の態度としても、作品を論じる方法としても、声や会話に重きを置いていなかったのである。書き言葉の権能に拠ることで、美学や美術批評が成立していく一方で、鑑賞は作品と鑑賞者個人との間で、一対一の関係としてのみ語られるようになっていく。このことが現在の美術館における鑑賞にも関係していることを指摘することができた。 なお、以上の研究成果は、今村信隆『一七世紀フランスの絵画理論と絵画談義』(北海道大学出版会、2020年8月刊行予定)としてまとめた。 他方、明治期後半から大正期にかけての日本については、特に鑑賞教育論について考察した。鑑賞は一人でも完成しうるが、現実の教育場面ではそうもいかない。そこで、教育という観点が入ることで、作品の前での語らいの問題が再び浮上してくることを、当時の論者の著作を読解しつつ、指摘した。
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