最終年度は、これまでに調査・収集を行ってきたベトナム・バクザン省ボーダー寺所蔵典籍について、関連資料の整理とその全体像の把握、個々の典籍の刊行事情や内容・体裁上の特徴についての考察を中心に進めた。 ボーダー寺の所蔵典籍群は、18世紀-20世紀初頭にかけてベトナム北部地域で刊行された仏教経典類及び少数の道教関係文献や字書等から構成される。前年度までの調査で、本寺に所蔵される巻子本仏教典籍のほぼ全て(63種、計291冊)について書誌データの作成と刊記や芳名録の撮影を行った。最終年度はこれらの整理研究・考察を行うにあたり、まず18世紀以降の北部ベトナム地域において、底本となる仏教典籍がどのように中国から流入し、どのような組織や人物がベトナム版典籍の刊行事業を主導し、またその際にどのような編集・独自要素の付加が行われたかについて特に注目した。 上記の成果として、論文「近世ベトナム北部地域における仏典刊行事業」(『東西学術研究所紀要』53輯)を報告した。中国の明末清初の混乱期にあたる17-18世紀にかけて、中国~ベトナム間の仏教交流はかえって活発化し、当時中国南方地域で流通していた仏教典籍が多数ベトナムに流入した。これらの中国典籍を底本として、有志の僧侶のグループや帝室貴族の後援者の主導により、ベトナム版典籍が刊行された。また阮朝期(19-20世紀)にはこれらの典籍の再刊が行われ、加えて新たな典籍の刊行も企画された。本報告では、ボーダー寺所蔵典籍の中から『三経日誦』(『仏祖三経註』)を一例として取り上げ、「典籍の流入~ベトナム版刊行~再刊」のプロセスを詳述した。 従来、日本の学界においては、15世紀の後黎朝以降のベトナム仏教、特にベトナム刊行仏教典籍に関する研究はほとんど行われてこなかったため、本報告は東アジア仏教史研究に新たな視座を提供したものと考える。
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