本研究は、その理論的な射程を未来にまで拡張した現代政治学の典型的なテーマである、政治権力論、政治的責務論、そして代表論を時制の観点から再考察した。これらの予備考察によって未来の政治理論的な特徴を抽出し、民主主義における時制の検討を促した。 最終年度では、本研究の成果として、鵜飼健史「時間の中の民主主義」(『思想』、岩波書店、第1150号、73-92頁、2020年2月)を発表した。本稿の主張によれば、民主主義では、過去・現在・未来の時制はクロノス的な順序ではなく、それぞれが入り組んでいると考えられる。加速化する社会で政治に委ねられた時間が漸減する中で、民主主義のスピードを論じる意義はますます高まっている。本稿では手始めに、民主主義の持続する性格を論じたクロード・ルフォールとシェルドン・ウォリンの政治理論を批判的に検討し、それが持続する形式を明らかにされる。次にその民主主義のテンポに注目し、速さと遅さの政治理論的な意味を考察する。すなわち、現代社会の加速化が、持続する民主主義にどのような意味で適合的で、あるいは不適合的であるかを、現代政治理論の成果を参照しながら診断した。ここでの分析対象のひとつは、ウォリンによる民主主義の遅さの称揚である。これに対するマイケル・サワードの擁護やウィリアム・コノリーの批判などを参照した上で、本稿では民主主義の適切な時間を、「遅さ」ではなく「遅れ」に見いだす。自己統治は瞬間的には成立せず、それは決定的に遅れるために、民主主義はこの遅れへの手続き的な対応が必要になるだろう。おそらく、その遅れはけっして挽回できず、そのためデモスは現在に完成しない。ここで議論は再び多元的な時間の必要性に回帰するが、それはいわば遅れへの民主主義的な対応の真摯さの論拠として強調される。
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