研究課題/領域番号 |
17K18477
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研究機関 | 茨城大学 |
研究代表者 |
猪俣 紀子 茨城大学, 人文社会科学部, 准教授 (20734487)
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研究期間 (年度) |
2017-06-30 – 2021-03-31
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キーワード | パリジェンヌ / 洋裁文化 |
研究実績の概要 |
今年度は、女性が戦後、主に50年代以降、パリジェンヌを語り始める主体になったその起点について調査した。女性によるフランス文化移入が行われるようになったきっかけを調査するうち、近年ファッション史において位置づけられるようになった洋裁文化が浮かび上がった。日本で特殊に発達した洋裁文化について資料より検証した。 戦後、女性の洋装化が一気に進み、1955年には洋装が94%という調査結果が出ている。しかし洋装は高価であったこともあり、購入ではなく自家裁縫されていた。先行研究では、洋裁学校から社会に送り出された卒業生はほぼ1000 万人であり、ほかの分野の専門学校とは同一視できない、巨大な集団が存在したことが指摘されている。 この巨大な文化産業の指導者(デザイナー)が、目指していたモードはアメリカのものではなく、自らを他と差異化し、権威づける意味合いもあった「パリ・モード」であった。このパリ・モードを頂点とする洋裁文化が、洋裁学校を通して,若い女性たちにパリを憧れの地として刷り込んでいったことは想像に難くない。 高価なパリの服飾品を買うことはできない庶民の生徒たちが、パリのモード、それを着こなすパリジェンヌを想像しながら、自分たちの体の上に再現するため、型紙をひき、ミシンを踏む。長時間かけて作ったパリ風の衣服を着用し、彼女らはフランスへの憧れを自分のなかに取り込んでいった。この洋裁文化とともに「パリ」、「パリジェンヌ」イメージも女性文化のなかで大衆化されたと考える。 以上から、明治・大正・戦前期には男性主体で語られていたパリジェンヌ言説が、主体、内容ともに大きく変容していく転換点が明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究開始前に予測していたことに関しては、おおむね順調に進展している。ファッション史という予測していなかった分野との関係性が分かり、そのことについては新たに調査する必要が出た。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、日本の戦前・戦後ファッションにおける女性の役割などを視野に入れ、パリジェンヌイメージ変遷との関連を明らかにしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
新たな校務が発生し、研究調査にかける時間が減少したため。2020年度において、服飾史の調査のため、物品費、旅費に使用する。
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