研究実績の概要 |
本研究は、1889年から1945年までの日本を対象として、以下三つの問いを設定した。(1)ハンセン病療養施設で患者たちはいつから、なぜ短歌を詠むようになったのか。(2)患者たちの短歌は療養施設の外でどのように受け入れられたか。そしてそれは、当時の状況とどのような関係性を有するか。(3) 医療は、短歌によってどのように天皇制とハンセン病を媒介し、ハンセン病患者たちを「臣民」としたか。 これまでに上述の三つの問いに対する答えを明らかにしてきた。(1) については、患者たちが詠んだ短歌をまとまった形で活字化するようになったのは、自らも短歌を詠んだ医師内田守が九州療養所に赴任した1924年に、娯楽として患者たちが集う場として定期的に短歌会を開催したことに遡れる。(2)は、内田が編集した九州療養所の患者たちの句歌集『檜の影 第一集』が1926年に出版されたことを契機として、患者たちの短歌が療養所の外でも読むことができるようになった。決定的だったのは一九三九年の長島愛生園の明石海人の『白描』が25,000部のベストセラーになったことである。(3)は、積極的に「救癩」活動を行なった貞明皇后は、金銭的な支援だけでなく、人々に患者たちを手助けするように促す意味の歌を詠んだ。この「み恵」に対して、患者たちは貞明皇后に対する感謝を歌で表現した。この相互行為により、ハンセン病者たちは「臣民」となり得たのである。 2022年度においては『短歌研究』2018年2月号から2021年7月号まで連載してきた代表的「癩歌人」の明石海人についての「光を歌った歌人-新・明石海人論」にもとづいて、明石海人の短歌についての著書『天啓-ハンセン病歌人明石海人の誕生』2022年12月に短歌研究社より刊行した。また、『死生学年報 2023』に論文「ハンナ・リデルの藍綬褒章―「救癩」の宗教から国家への転換点」を発表した。
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