研究課題/領域番号 |
17K18479
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研究種目 |
挑戦的研究(萌芽)
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配分区分 | 基金 |
研究分野 |
文学、言語学およびその関連分野
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研究機関 | 成城大学 (2022) 東京医科歯科大学 (2017-2021) |
研究代表者 |
松岡 秀明 成城大学, 共通教育研究センター, 非常勤講師 (80364892)
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研究分担者 |
池田 光穂 大阪大学, COデザインセンター, 名誉教授 (40211718)
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研究期間 (年度) |
2017-06-30 – 2023-03-31
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キーワード | ハンセン病 / 短歌 / 臣民 / ナラティブ / 病いの語り |
研究成果の概要 |
本研究は以下の3点を明らかにした。(1) 1924年に、九州療養所で患者たちが集う場として定期的に開催した歌会が各地のらい療養所に広まった。(2)九州療養所の患者たちの句歌集が1926年に出版され、患者たちの短歌が療養所の外でも読むことができるようになった。1939年に長島愛生園の明石海人の『白描』がベストセラーとなり、「癩短歌」ブームは頂点を迎えた。(3)救癩活動を行なった貞明皇太后は、1932年に人々に患者たちを手助けするように促す意味の歌を詠んだ。この「み恵」に対して、患者たちは貞明皇后に対する感謝を歌で表現した。これらの相互行為により、ハンセン病者たちは「臣民」となり得たのである。
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自由記述の分野 |
文化人類学
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
本研究は第二次世界大戦の終戦までの日本で、ハンセン病と社会さらには天皇制国家との関係において短歌が重要な意味を持っていった過程を明らかにしたが、これは先行研究では検討されておらず学術的な意義を有する。具体的には、短歌をとおして、らい療養所の患者たちは療養所の外の人々とつながることが可能となった。他方、療養所の外の人々-そのなかには皇族や歌壇および文壇の人々も含まれる-は、短歌をとおして患者たちにメッセージを送ることができた。短歌は療養施設の内と外との一方通行的ではなく双方向的コミュニケーションを成立させる文芸の様式となったのである。
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