研究課題/領域番号 |
17K18520
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研究機関 | 奈良県立橿原考古学研究所 |
研究代表者 |
西藤 清秀 奈良県立橿原考古学研究所, その他部局等, 嘱託職員 (80250372)
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研究期間 (年度) |
2017-06-30 – 2020-03-31
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キーワード | 三次元画像 / パルミラ / ベル神殿 / 米軍撮影写真 / 消滅した古墳 |
研究実績の概要 |
シリア・パルミラ遺跡の中心的な位置にあった建造物、ベル神殿は、2015年ISISによって爆破され、全世界の人々を絶望の底へ落としめた。爆破され跡形もなくなったベル神殿、人々の心の拠り所であるこの文化財をもう一度人々の元に戻そうと本研究ではベル神殿の爆破前の姿を三次元画像として再現することを試みている。我々は、このベル神殿が爆破される前、2010年に簡易ではあるが三次元スキャナーにより建物のデータを入手している。このデータは、ベル神殿が爆破されてしまったために、世界で唯一の三次元計測記録となった。現在、既存の写真(二次元画像)を三次元画像にマッチングさせ、ベル神殿の全体像の再現を行っており、まだ不完全な状態ではあるが、神殿細部が確実に鮮明化している。 また、本研究では別の視点から三次元画像を活用している。1947/8年に米軍によって撮影された奈良盆地内の空中写真を活用し、現在は消滅した古墳・古墳群の姿を三次元的に再現した。御所市西松本の古墳群は1946年に調査され、報告がなされているが、すでに丘陵は消滅しているため、その報告からは古墳の立地した場所を特定することが非常に困難であった。しかし、今回の米軍空中写真の三次元化により、調査された古墳の位置の特定は可能となった。さらにこの丘陵の北側に位置する石光山古墳群は、すでに2/3が消滅し、住宅化されているが、米軍撮影当時の写真には丘陵全体の古墳墳丘の存在が認められ、この丘陵の三次元化も実施でき、1972年、1974年当時の調査時の写真や図の検証も可能となった。また、舒明天皇の墓と推定される小山田古墳は、調査時学校敷地下で発見され、今まで未知の古墳であったが、米軍写真から学校建設前の古墳の状況を三次元化することにより、削平を受けているものの、一部墳丘の存在や墳丘背後の壕の存在を視覚化することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、2点の研究主題からなるが、第1点目は現段階でベル神殿の三次元画像による再現については写真の入手にやや困難を伴っているが、着実に画像の再現は進んでいる。昨年度、ベイルートにおいてシリア人文化財関係者にも見てもらう機会を得て、好評を博した。第2点目の1947/8年米軍撮影の空中写真の三次元化から古墳・古墳群の再現に関しては、極めて順調にその研究は進展しており、その成果を今年度の日本文化財科学会で発表する予定である。
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今後の研究の推進方策 |
パルミラ・ベル神殿の三次元画像再現には、さらなる過去の二次元写真の入手が必要であり、さまざまな方面に働きかけ入手に務める必要がある。しかし、入手した画像の質と撮影箇所が本研究で必要とする画像と一致するかが重要であるため、本研究で必要とする画像箇所を明示した画像を作成し、今後必要箇所の画像の提供を呼びかけていく。 米軍等の過去の空中写真の三次元化からすでに消滅した古墳・古墳群の墳丘や立地環境の再現を試み、奈良県御所市西松本の古墳群、石光山古墳群、明日香村小山田古墳において古墳の墳丘や古墳群の立地環境を再現できた、今後は、さらに米軍等の過去の空中写真を使用し、他の地域、特に古墳が多く集中する群馬県において消滅した古墳群や古墳の再現を試みる。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究を進める上で、重要な海外の研究機関にパルミラ・ベル神殿の画像の調達に際して研究協力者1名の日程が合わず、出かけることができなかったため。
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