研究代表者は2014-2016年度と2017-2019年度の通算6年間、学振研究支援により、震災直後から仮設に滞在しての調査に始まり、2016年6月の避難解除後の帰村民との定期的な集会や個別訪問による聞き取り調査を、被災者支援を心がけながら経時的に行ってきている。これらのデータは代表者の博士論文(京都大学人間環境学研究科共生文明学講座文化人類学分野)として執筆中である。 震災直後より足掛け7年の長期調査により得られた人的環境(被災者、東京電力、行政、研究者など)では親密圏とも言える貴重な研究の場として関係を構築しており、本研究課題調査を容易かつユニークにしている。 本研究では、避難解除され帰村した村民とその家族との集会を定期的行い、コミュニティー再生過程、限界集落化などと、東電、行政、研究者らの関わりを中心に参与観察を行ってきている。加害者―被害者が同じ集会でなんの喧騒もなく理解しあって将来を見据えた集会を民族誌の枠組みで可能にした。さらに従来の民族誌フィールドワークに加えて、文理融合型、かつ支援介入型の[民族誌]を挑戦的に試みることにより、やむなく低レベル放射線環境に暮らすための行動変容と放射線リスクの低減化に導くことに繋げることが出来た。 2017年6月飯舘村は蕨平など高線量区域を覗き概ね避難解除され、避難村民の自由意志に基づいた帰村が実施された。村の自宅に帰るもの、さらなる被曝を避けて新天地に移住するものなど多様な帰村の物語があった。飯舘村に帰村したもののほとんどは高齢者で、人口の1割程度であった。震災直後に他府県など遠方に逃れたものはすでに既存の術はなく、行政の多様な政策にもかかわらずコミュニティー再生には未だ至っていないことが確認できた。今後、限界集落化から恢復するのか、あるいは新たなコミュニティーの形態をもった村に発展するのかを引き続き参与観察している。
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