生命は生体分子と化学反応のネットワークから発現する。生体はDNAやタンパク質といった生体分子によって構成されるが、生体分子の機能はそれらを基質とする動的な化学反応によって調節され、生命全体としての恒常性が維持されている。生体内の化学反応には酵素が介在しており、酵素の機能異常、あるいはそれにより引き起こされる生体内化学反応の異常が、生体恒常性の損失や疾患に密接に関与している。以上の背景を踏まえ本研究の目的は、遺伝子転写を正に制御する翻訳後修飾であるヒストンタンパク質のリジンアセチル化に焦点を当て、生体内での人工化学触媒反応によって酵素非依存的にヒストンアセチル化を導入し、これによりがん抑制遺伝子を含む遺伝子転写を亢進して、抗がん作用を発現することを目的とする。本法では薬効の発現を内在性酵素に依存しないため、既存の脱アセチル化酵素阻害剤では効果の無い、アセチル基転移酵素の遺伝的欠損や阻害剤耐性を有するがん細胞に対しても有効性を示すと期待される。 本年度は、当研究室で開発したチオアセテートを活性化する化学触媒DSHが、生細胞内で内在性タンパク質の特定の残基を選択して、アセチル化を進行させることを見い出した。すなわち、タンパク質リガンドとして葉酸誘導体TMPを有するDSH触媒(TMP-DSH)をプロドラッグ化したTMP-DSSMeとアセチルドナーNAc-Acを生細胞に付すと、強制発現した細胞内のeDHFRの32番目のリジン残基をタンパク質選択的かつ残基選択的にアセチル化することができた。これは生細胞内の内在性タンパク質を人工触媒によって選択的にアセチル化した、初めての成功例である。本成功をもとに、染色体ヒストンの特定残基のアセチル化にもすでに成功している。 さらに、DSHよりも活性の高い化学触媒HXAの開発をおこなった。
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