研究課題
本研究の目的はシナプス関連因子Arcに着目したトキソプラズマ感染による記憶改変メカニズムの解明であり、平成29年度は「Arc遺伝子発現を改変する原虫因子と宿主因子の同定」について研究を実施した。Arc遺伝子の発現制御にはその上流の転写因子(CREB, SRFなど)の関与が示唆されるため、それぞれのシグナルに対応するルシフェラーゼレポーター解析系(293T細胞を使用)を構築した。本解析系に40種の原虫遺伝子を導入して活性化レベルを比較したところ、CREBシグナルに関与する原虫因子2種類、SRFシグナルに関与する原虫因子6種類を見出した。これら候補原虫遺伝子を神経細胞株へ導入しArc発現の変化を解析したところ、Arc発現レベルを上昇させる2種類の原虫遺伝子を同定した。これら2種類の遺伝子に加えてその他1種類の遺伝子を含めた合計3種類の遺伝子についてCRISPR-Cas9システムによりそれぞれ遺伝子欠損原虫株を作製した。遺伝子欠損原虫株の細胞侵入能・脱出能、増殖率の性状解析を行ったところ、親株原虫と比較してこれら表現型に顕著な差は認められなかった。次に、3種類の遺伝子欠損原虫株と親株原虫をマウスへ感染させ、病原性試験と記憶能力の判定のために恐怖条件付け試験を実施した。病原性試験では、親株原虫と比較して病原性が増加した遺伝子欠損原虫株は2つ、病原性が低下した株は1つであった。病原性に影響しない原虫感染量で恐怖条件付け試験を行ったところ、親株原虫が記憶能力が減少するのに対し、記憶能力に障害を与えない傾向を示す遺伝子欠損原虫株を一つ見出した。遺伝子欠損原虫株の標的遺伝子について、免疫沈降法と質量分析により宿主細胞由来の結合タンパク質の解析を進め、現在までに候補因子を一つ同定した。この因子については、コンプリメント原虫株での原虫因子との結合も確認している。
2: おおむね順調に進展している
平成29年度の進捗状況を以下に示す。(1)神経細胞の網羅的トランスクリプトーム:RNAseq法による初代神経細胞のトランスクリプトームを実施した。原虫感染による発現変動遺伝子のGene Ontology解析を行ったところ、免疫や代謝関連の遺伝子が発現上昇し、細胞内脂質代謝、細胞内輸送、鉄イオン反応に関する遺伝子の発現が減少していた。また、原虫感染によるArc遺伝子の発現上昇も認められた。(2)Arc遺伝子発現を改変する原虫因子と宿主因子の同定:ルシフェラーゼレポーター解析系により、Arc遺伝子発現に関わる原虫因子の候補として6種類選定した。その内の2種類については、神経細胞への遺伝子導入によるArc発現の増加が認められた。対象遺伝子に対する遺伝子欠損原虫株3種を作製し、病原性試験と記憶能力の判定試験を実施した。病原性試験では、親株原虫と比較して病原性が増加した遺伝子欠損原虫株は2つ、病原性が低下した株は1つであった。病原性に影響しない原虫感染量で記憶能力の判定試験を行ったところ、記憶能力に障害を与えない傾向を示す遺伝子欠損原虫株が一つ確認され、この対象遺伝子がトキソプラズマ感染による記憶改変メカニズムに関与する可能性が示唆された。(3)その他の実績:トキソプラズマの感染急性期にはうつ様症状を発症することをマウスの感染モデルで明らかにした。この発症には、宿主の炎症反応による脳内のキヌレニンの産生が関与しており、脳内の炎症反応と記憶能力との関連性を調べる必要性が提示された。以上より、平成29年度に計画した「Arc遺伝子発現を改変する原虫因子と宿主因子の同定」はほぼ終了しており、当初の計画通りおおむね順調に進展していると判断した。
平成30年度は「記憶を制御する宿主因子の解析」に関する研究を進める。質量分析により同定した宿主タンパク質の機能として、原虫因子と複合体を形成してArc発現を調節する(a)、あるいは原虫因子による宿主因子の機能阻害(b)が想定できる。まず、CRISPR-Cas9システムなどを用いて神経細胞(細胞株、初代培養株)から当該遺伝子を欠損させ、アゴニスト存在下あるいは原虫感染下でArc発現およびArcにより制御されるグルタミン酸受容体の発現レベルや局在を解析する。(a)の場合は感染の有無でArc発現に影響せず、(b)の場合は恒常的にArc発現に影響すると予想される。さらに、RNA-seq法による網羅的トランスクリプトーム解析を行い、対象遺伝子が関与する細胞内反応の全貌を明らかにする。質量分析あるいは網羅的トランスクリプトーム解析により絞られた候補遺伝子について、遺伝子欠損マウスを導入あるいは作製する。遺伝子欠損マウスを用い、感染実験と行動測定を実施する。さらに、マウスの脳組織について神経伝達物質の測定と病理組織学的解析を行い、候補遺伝子の欠損による脳組織の変化を比較する。(a)の場合は感染マウスでも記憶・学習能力、神経回路の機能に欠陥は認められず、(b)の場合は恒常的に脳機能に影響すると予想される。上記の解析結果を総合し、当該遺伝子が記憶形成に重要な宿主因子であると判断する。上記の研究を進めることで「トキソプラズマ感染による記憶改変メカニズム」の解明を目指す。
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PLoS One
巻: 12 ページ: e0187703
10.1371/journal.pone.0187703
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