マウスの嗅覚コミュニケーションを司る匂い、特に個体認識に関わる匂いの化学的実体については、MHCペプチド、MUP (Major Urinary Protein)、ESP (Exocrine-gland Secreting Peptide) などが提唱されているが、その一端が解明されたに過ぎない。申請者は、ミトコンドリアゲノム由来の呼吸鎖酵素NADH dehydrogenase 1 (ND1)、NADH dehydrogenase 2 (ND2)のN末端のアミノ酸配列(9残基からなるペプチド)がマウスの系統間で異なることに着目した。本研究で は、これらのペプチドが体外に分泌され、個体認識の手がかりとなる匂い分子として機能しているとの作業仮説を立て、これを行動実験にて検証することを目的とした。 BALB/c系統のマウスはH-2dハプロタイプを有するのに対し、C57/BL6系統のマウスはH-2bハプロタイプを有する。このようにH-2ハプロタイプが異なる系統間で妊娠阻止(ブルース効果)が起こることが判明している。そこで、H-2ハプロタイプが同じで、ND1ペプチドとND2ペプチドのアミノ酸配列が異なるBALB/c系統とNZB系統との間で妊娠阻止が惹起されるか否か検討した。BALB/c雌マウスをBALB/c雄と交尾させ、翌日から2日間NZB雄に曝露させたところ、有意に高い妊娠阻止率が得られた。この効果はNZB雄の尿でも、さらにはNZB雌の尿でも再現された。本研究結果は、BALB/c雄との交尾によるBALB/c雌の妊娠がNZBの脱ホルミル化されたND1ペプチド(ND1-6A:N末端から6番目のアミノ酸がアラニンである)とND2ペプチド(ND2-7A)への曝露によって阻止されるとの知見を裏付けるものである。
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