ヒトの染色体DNAは、内因性、外因性の遺伝毒性物質に曝露されており、損傷を持ったDNAを鋳型に行うDNA複製は突然変異や染色体異常の誘発に結びつく。DNA損傷に基づく細胞死(染色体複製の停止)を回避するため、ヒト細胞にはDNA損傷部位を乗り越えて複製を続ける特殊なDNAポリメラーゼが備わっている。この損傷部位を乗り越えて進むDNA合成は、トランスリージョンDNA合成(TLS)と呼ばれ;遺伝毒性の回避に関与していると考えられている。本研究では、TLSに関わるDNAポリメラーゼκ(hPolκ)の生化学的解析を進めるとともに、同酵素の活性を特異的に不活化させたノックインマウスおよびノックインヒト細胞株を樹立することにより、低用量域での遺伝毒性発がん物質の閾値形成にTLSがどのように関与するかを明らかにすることを目的にしている。 平成21年度は(1)hPolκのphenylalanine 171をalanineに置換した変異体(F171A)の性状解析を継続し、F171Aがbenzo[a]pyrene diolepoxide(BPDB)N2-dG adductを持つ二本鎖DNAに野生型酵素よりも強く結合すること、in vitro DNA合成における誤りの頻度は野生型酵素と差がないことを明らかにした。平成20年度における成果(F171Aは鋳型鎖のBPDE adductの向かい側に正しいdCMPを挿入する活性が野性型酵素よりも20倍以上高い)と合わせ、F171は、hPolκによるBPDE N2-dG adductのTLSにおいてブレーキの役割をはたしているものと結論した。(2)Polκの198番目のaspartic acid(D198)と199番目のglutamic acid(E199)をalanineに置換したノックインマウス(D198A/E199A)の肝臓と精巣における無処理条件下での突然変異頻度を野生型マウスと比較し、欠失変異頻度がノックインマウスにおいて有意に低下していることを明らかにした。(3)ヒト細胞株Nalm-6のhPolκ遺伝子(POLK)を完全欠失させた変異株と、hPolκにD198A/E199A変異を導入した株、および野性型株の遺伝毒性物質に対する感受性の比較を進め、過酸化水素の致死作用に対し、欠失株が高い感受性を示すことを明らかにした。(4)遺伝毒性試験に関する国際ワークショップ(2009年8月、スイス、バーゼル)に出席し、遺伝毒性発がん物質の閾値形成機構に関して発表を行った。
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