アメリカが「訴訟社会」であると言われて久しい。東アジアの日本・中国・韓国もまもなく「訴訟社会」になるであろうと言われている。ところが中国では16世紀中葉以降、すでにすさまじいばかりの訴訟件数を数える「訴訟社会」であった。本研究の目的は、以下の具体的な問題に即して、中国特有の訴訟社会とは何であったかを明らかにすることである。 第一に、中国の古代から現代に至る歴史の中で、この訴訟社会はいつに始まりいつに終わったのかを明らかにする。何が訴訟社会を生み出した要因であり、何がそれを終焉させた要因であったのかを明らかにする。第二に、日本の江戸時代の社会と韓国の朝鮮時代のそれとを比較の対象として取ることによって、中国訴訟制度の特色を明らかにする。第三に、特に中国明清時代における社会構造、司法制度と訴訟との関連に焦点を合わせることにより、この社会にあっては冤罪・誣告などがなぜ多発したのか、なぜ訴訟社会が長く続いたのかを明らかにする。第四に、一方で訟師と呼ぶ訴訟幇助者や訟師秘本と呼ぶ訴訟のためのマニュアル本など、訴訟を増加させた文化的また社会的な諸装置を明らかにする。他方でまた、宗族や村落でおこなわれた調停、一部の知識人がおこなった善書の普及、あるいは明清政府による諸施策など、訴訟を減少させようとする方策を明らかにする。これによって、それらの方策がどこまで効果があったのかを明らかにする。
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