わが国における約2500年の金属利用の歴史の中で、特に金・銀に注目し、その純度を高める精錬技術の技術移転と定着、さらには技術発展に関して実証的な検証を行うことが、本研究の目的である。鉱石の採鉱から金属の製・精錬に至る技術の歴史の解明は、日本の技術史上たいへん重要である。しかし、従来の研究は文献史料調査に基づくため、文献史料自体の存在が希薄である古代の実状は詳らかでない。本研究の特徴は、新たに出土した実資料に対する科学的調査の成果に基づき、古代からの技術の変遷を実証的に検証することである。鉛を用いて金・銀の純度を上げる技術は、一般的には「灰吹法」として知られる。日本で最初に灰吹法を導入したとされる島根県大田市の石見銀山遺跡において、灰吹技術に関連するさまざまな遺物に対する科学的調査・研究に加え、灰吹技術の詳細を知るために実験的な検証を実施した。例えば、従来の説より低い温度で銀が吹き分けられる可能性を指摘し、また石見銀山における灰吹法にも炉の形態や灰の材質などに時代的変遷があることも確認した。これまで金・銀の純度を上げる灰吹の技術は、石見銀山に1533年にもたらされたとされてきた。今回、古代日本における最大級の生産遺跡である奈良県明日香村の飛鳥池工房遺跡の出土遺物を検討した結果、7世紀後半にすでに鉛を用いた金・銀の純度を上げる技術が行われていた痕跡を見いだすことができた。これは、いわゆる灰吹法の原型ともいえる技術である。この事実は、これまでの日本の科学技術史を書き換える大きな成果としてよかろう。また、15世紀後半から16世紀前半にかけて山梨県の甲斐金山群でも同様の技術が行われていた可能性を見いだすことができた。このように、本研究が我が国における「灰吹法」の技術的系譜を実証的に明らかにすることに寄与できたものと考える。
|